氏家町氏家 草川欠ノ上橋

2676年 1月 12日 探訪

 此方は 【氏家町氏家 名稱不明橋】 依り二百米程下つた處に架る橋であります。
【氏家町氏家 草川中丸橋】 が中央の草川の玄關だと致しますと、此方は南側の玄關と云つた處でせうか。

 因に、北の玄關は國道二九三の草川橋でせうか。
唯彼處、何か架替られてゐるのだと思ふのでありますが、最早架橋當時の原型を留めてゐ無いので、今囘はきちんと見て居りません。

 まあ其は扨措き、不取敢此方右岸側から見て行きませう。
 おや、元々は親柱が在つたと思つたのでありますが、何故か撤去されて居ります。

 多分草川の側道に歩道を整備した關係だと思ふのでありますが、だつたら銘板だけでも外して袖ビイムにでも附て措いて呉れよと云ふ感じでありますね。
 草川。

 如何にも發注者の首長直々に筆を揮つたと云ふ感じでは無く、機械的な字體の銘板であります。

 さう云ふ點でも、年代的には西暦で云ふ1960年代の作では無いでせうか。
 併し薄い親柱であります。

 銘板も如何云ふ人に見て欲しいのか一寸アレであります。

 尤も、自動車で往來する樣な時代に態々橋の名前等氣にする人も居無いのでせうがね。
 高欄は古初代ガアドレイルで、+螺旋で留つて居ります。
 横から見ますと、一徑間の混凝土T字桁、I字桁と云つた方が良いのかな、さう云ふ橋であります。

 では、左岸側へ移動致します。
 草川欠ノ上橋。

 ええと、缺ノ上とは一體如何云ふ意味から附られたのでせうか。
元から此處に架橋されてゐたと云ふ譯でも無く、此方が此處での最初の橋でせうから。

 嗚呼、と云ふ事で、"欠"の字は舊字體遣ひませんよ。呵呵
 草川。

 多分に之は左右兩岸で對稱の銘板だと云ふ事でせう。
と云ふ事で、右岸側の銘板は草川欠ノ上橋だつたと云ふ事で間違無いでせう。

 因に、現地では竣功年が判明致しませんでしたので、後日机上で航空冩眞に頼つた譯でありますが、昭和四三年五月には未だ架橋されて居らず、 翌四四年五月には其姿を確認出來ますので、年度末竣功に合はせると考へますと、昭和四四年三月竣功物件と云ふ事でせうか。

 まあ、高欄からしましてもさう云ふ感じでありますから別段アレでありますが、鈑橋では無く混凝土桁と云ふのが興味深い物件でありました。

 以上、御附合有難う御坐いました。

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