氏家町氏家 名稱不明橋

2676年 1月 12日 探訪

 此方は 【氏家町氏家 草川中丸橋】 依り三百米程下つた處に架る橋であります。

 以前はもつと武骨な儘の橋だと思つてゐたのでありますが、久方振りに訪ねて見ると、手荒く御洒落に成つてゐる事に驚きました。
之では丸でバブル物件だらうと見紛ふ程なのでありますが、良く見れば此規模で三徑間と、元からの素性は其儘であります。

 と云ふ事で、矢張此方右岸側から見て行きます。
 まさか此幅員を自動車で渡らうとする人は居無いとは思ひますが、此處四十年程で自分の腦味噌の使ひ方を知ら無い、使ふ事の出來無いと云ふ、 何も考へる事が出來無い人が増えましたので、斯う云ふ具合に休憩用兼自動車進入防止用の石を置く樣にしたのでせうか。

 轉落防止用の柵はね、殊住宅街には必須でせうからアレでありますが、近隣の景色も含て隨分と樣變りした物であります。
 左岸側から見て居りますが、桁はスラブ形式、所謂牀版橋と云ふ形式かと思はれます。
と云ひますか、此厚味でありますから、間違無くさうでせう。

 唯、單純に直線的な物では無いのがアレでありますが、其つて如何云ふ理由からなのでありますかね。

 併し橋脚、橋臺共に補強が凄いであります。
 斯うして見ますと依り一層でありますが、之は耐震補強なのでせうか。

 して此方、竣功年は御覽の通り現地では不明なのでありますが、地元の方の御話では、此處は元から混凝土橋だつたさうであります。

 で以て、依り一層絞り込まうと思ひますと、昭和一桁年代の地圖と昭和十六年の航空冩眞では草川の流れは丸で違ひますので、其間に出來た橋と見て先づ間違無いと思はれます。

 と云ふ事で、昭和四年から昭和九年頃以降昭和十六年迄に竣功した物件と云ふ事だと思はれます。

 まあ何にせよ、其儘殘つて居り、今でも現役物件と云ふのは感動的でありますので、出來れば末永く殘つてゐて欲しいなと思ふ物件でありました。

 以上、御附合有難う御坐いました。

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