2681年 12月 6日 探訪
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此方は、栃木縣道十九號線日塩もみじライン鹽原温泉側起點から藤原方面へ進む事二キロ半程、現道で云ふ所の"カーブ42"の位置の名稱不明の澤に架る日鹽道路、
所謂舊道部分の橋であります。 まあ、 【鹽原町中鹽原 田代橋】 が架る鹽澤、現在では大鹽澤の一キロ半程上流側、途中で合流する支流でありますので若かしますと小鹽澤と云ふのかも知れませんが、大鹽澤其物の上流側、 此方依り一キロ半程上に在る 【鹽原町湯元鹽原 小塩澤橋】 の例も御坐いますので、はつきりと斷定は出來ませんでしたので名稱不明と致しました。 扠、ぱつと見に何を判斷材料にすれは良いのかアレでありますが、不取敢右手、下流側は擴幅されてゐる、日鹽道路の成立からすれば戰前物件なのでありますが其實如何でせうか。 と云ふ事で、此方右岸側から見て行き度いと思ひます。 |
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手荒く土に埋つてゐる親柱でありまして、殘念乍銘板も何の表記も御坐いませんでした。 上部には一體何が附てゐたのでせう、若かして笠石若くは裝飾的な何かだつたのでせうか。 |
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此方側に親柱は御坐いませんでした。 元からな無いのか、其共現道の翼壁を作る際に撤去されたのか、何方なのでせう。 高欄のガアドレイル自體は昭和四八、九年頃に良く見る物でありますのが不思議であります。 |
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元からの高欄は堆積物でほゞ隱れて居り見えません。呵呵 では左岸側へ移動致します。 |
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此方側は當然の樣に同じ状態であります。 併し、ほゞ五十年の歳月と云ふべきか、立派な木が育つて居ります。 |
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殘念、此方側も無記名でありました。 |
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横から見ました處、之は拙の大好きなRCT桁でありますね。 而もやつと高欄の姿が斯う云ふ素敵な意匠だつたと分るのが嬉しい限りであります。 此橋臺の梁部の造は戰前に良く有る姿でありますし、後述致します橋等から、此方の竣功年は昭和十年頃では無いかと推察致します。 何しろ一般道としましては昭和四七年に供用廢止に成つてゐるのでせうから、普通にネツトで調べられる範圍では色々と不明な儘でありました。 唯、簡單に入つて來られますので、現在でも林業や治山事業では使用されてゐるのかも知れません。 併しまあ、ずうつと來ようと思ひつゝも中々來られ無かつた橋でありますので、今囘斯うして見られて手荒く滿足でありました。 因に、擴幅部分は多分昭和卅年代か四十年代初頭の竣功でせうが、普通に混凝土牀版橋でありましたので撮影致しませんでした。 以上、御附合有難う御坐いました。 |