2680年 6月 1日 探訪
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此方は
【鹽原町湯元鹽原 元湯橋】
依り三キロ程日鹽有料道路方向に進んだ處、大鹽澤に架る橋であります。 もうぱつと見で昭和四十年前後の橋と云つた雰圍氣でありますが、其實如何でせうか。 と云ふ事で此方、左岸側から見て行き度いと思ひます。 |
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こしおざわ。 何處かで見た事の有る意匠の親柱だなと思つたのでありますが、 【鹿沼市栃窪-宇都宮市福岡町 日吉内橋】 と似た方向性でありますね。 矢張同年代頃でありますね、多分。 |
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昭和43年12月13日竣工。 日附迄入つてゐるのが中々であります。 と云ひますか、日吉内橋依り二年も早くて斯樣な意匠だつたのでありますね。 |
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高欄は御約束の初代ガアドレイル、而も角柱でありますが、昭和四五年以前でありますから當然と云へば當然であります。 併し此方左岸側、親柱との間が開き過ぎと云はれ無かつた、のでせうね、昭和四十年代でありますもの。呵呵 |
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排水桝も當然の樣に穴のみであります。 では右岸側へ移動致します。 |
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小塩沢橋。 まあ、河川名からの命名でありますが、現在では大鹽澤と成つて居ります。 |
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小塩沢。 此處上流側では「小」と附て居りますが、實は 【鹽原町中鹽原 田代橋】 の三キロ程上流側でありまして、多分、途中何本かの澤が合流して下では單に鹽澤と當時は云つてゐたのでせうかね。 其が今では大鹽澤でありますから、如何云つた基準で變更に成るのか不思議であります。 |
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横から見ました處、此方は混凝土T字桁の樣であります。 えゝ、拙が最も大好なRCTでせうね、之は。 併しさう、多分此方も酸性が強いのでありますかね、主桁が結構痛んでゐる樣であります。 して、さう、題名に正字體を遣ひませんでしたのは、此方が初代の橋だらうからであります。 古地圖を見ますと元々此處に道は通つてゐ無かつた樣でありますし、事實道路が確認出來ますのは昭和四五年の航空冩眞からであります。 と云ふ事は、日鹽有料道路等のリゾウト開發と同時に進められた、或る意味此方も觀光道路の意味合が有つたので新造され度のでは無いかと思ひまして、 正字體にし無かつたのであります。 とは云へ、好きな頃の年代の橋でありますし、久々に逆傾斜の親柱が見られて滿足でありました。 以上、御附合有難う御坐いました。 |