2680年 6月 1日 探訪
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此方は
【鹽原町上鹽原 宮崎橋】
の右岸側袂から三キロ程元湯方面に進んだ處、赤川に架る橋であります。 ぱつと見には案外高年式、と云ふ表現で良いのか如何かアレでありますが、昭和五十年代の物件に見え無くも無いでありますが、其實如何でせうか。 と云ふ事で、此方左岸側から見て行き度いと思ひます。 |
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あかがわ。 うゝむ、「あかゞは」と書き度い氣分に成つて仕舞ます。 まあ、親柱の特徴としましては、外側が斜、横書の銘板と云ふ處でありますね。 |
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昭和45年3月竣工。 年代から致しますと、結構斬新な意匠の親柱では無いでせうか。 |
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何しろ、高欄が輕合金なのでありますよ。 而も元からさうだつた樣なのであります。 多分昭和四五年の橋で元々斯樣な高欄つて先づ見掛無いのでありますが、さう、此處元湯は手荒く硫黄臭が漂つて居りますので、其腐食對策なのでせうか。 |
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でありますので、排水桝は全て此有樣であります。 |
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混凝土の路盤も隨分と荒て居ります。 では右岸側へ移動致します。 |
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元湯橋。 命名は此場所からでありますね。 併し丁度木陰に成る所爲か、可也状態の良い親柱であります。 |
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赤川。 多分名前から察しますに、酸性が強いのか鐵分の含有量が多い鐵鑛水、さう、此處鹽原の鶏頂山は一時期鐵鑛水を汲むので有名に成りましたし、 他にも 【鹽原町湯元鹽原 舊雄飛橋】 が架るスツカン澤等が御坐いますので、さう云ふ河川なのかも知れません。 |
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横から見ました處、鈑橋でありました。 ん、若かしますと酸性には混凝土依りも鋼材の方が長持するのでせうか。 て、さうでありますよね、鐵筋が錆て混凝土が剥れる依りも良いのでせう。 と云ふ事は、高欄、若かしますと鋼製の物、例へばガアドレイルや柵の樣な物を最初に附、あつと云ふ間に錆たので直に輕合金に交換した共考へられますね。 まあ、嚴しい環境下の橋と云ふ事で、中々に興味深い物件でありました。 以上、御附合有難う御坐いました。 |