鹽原町湯本鹽原 前黒橋

2681年 12月 6日 探訪

 此内側に橋が架つてゐるとは、普通誰も思ひませんよね。
 此方は 【鹽原町湯本鹽原 名稱不明橋【一】】 依り栃木縣道十九號線、日鹽もみじラインを藤原方面へ進む事六百米程、前黒澤に架る日鹽道路、所謂舊道部分の橋であります。

 まあ、經緯からしまして戰前橋なのは先づ間違無いのでありますが、其實如何でせうか。

 と云ふ事で、此方右岸側から見て行き度いと思ひます。
 上部が圓く成つた意匠に白い陶磁器製と思しき銘板迄は分るのでありますが、可也自然に歸つて居りますので判讀困難であります。
 まへ〇ろ、迄は讀めますので、"まへくろばし"と書かれてゐるのは確實かと思はれます。

 何故も少し近寄つて落葉等を退さ無かつたかと云ひますと、斯樣な状態では何處迄地面が殘つてゐるのか分りませんので、念の爲に、であります。
 此方は手荒く綺麗な状態で殘つてゐる親柱であります。

 が、手前の笹の葉で銘板が良く見えませんね。
 昭和十年七月架設。

 日鹽道路として建設された當時の物であるかと思はれます。

 併し昭和十年架設の混凝土橋は手荒く多いでありますね。
 高欄は 【高根澤町寺渡戸 名稱不明橋】 にも通ずる八角形の意匠であります。

 では左岸側へ移動致します。
 之でありますもの、手荒く危險で此方からは近寄り度く有りません。

 其でも未だ見晴しが良い分 【那須町高久丙 苦土橋【一】】 依り遙に増しでありますが。
 〇黒橋。

 此銘板は壞れ易いでありますし、字も落易くて餘アレな感じだなと個人的には思ひます。

 戰前で「橋」の變字體は結構珍しいでありますかね。
 まあ、前黒橋かと思はれます。
 冬で之でありますから。呵呵
 前黒澤。

 但し現在は此方が大鹽澤と云ふ名稱に成つてゐる樣であります。
 横から見ました處、此方は混凝土T字桁でありますね。

 併し橋臺が凄い造であります。
今迄見た事が無い形式と云ひますか、此は之で當時の林道規格か何かなのでせうか。

 其にしましても、斯うして戰前物件が殘つた儘と云ふのは手荒く素晴しいであります。
良くまあ撤去せずに殘つてゐたなあと感心する許であります。

 いやあ、本當に良い物が見られて大滿足でありました。

 因に、今現在は「マイクロバシ」と發音する樣な假名表記がされて居りますが、此方には「マヘクロバシ」と書かれてゐるであらう事を考慮致しますと、多分方言なのでせうが、 栃木縣では「い」と「え」の區別が附無いと云ひますか、逆に發音する人が思ひの外居りますので、其所爲で「マイクロバシ」に現在は變化して仕舞つたのでは無いかと推察致します。

 以上、御附合有難う御坐いました。

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