日光市七里 木揚場橋

2678年 12月 3日 探訪

 此方は 【今市市平ケ嵜-千本木 白崖橋】 依り四キロ半程行川を上つた處に架る、栃木縣道十四號線の橋であります。

 まあぱつと見に如何にも昭和四十年前後頃の橋と云ふ感じでありますが、其實如何でせうか。

 と云ふ事で此方、左岸側から見て行き度いと思ひます。
 木揚場橋。

 木揚場と云ふ事は、此邊迄上流側で伐採した木を筏にでもして行川を流して來たのでせうか。
現在の流れや此近邊の状況から見ましたら、とてもさう云ふ場所には見え無いのでありますが。
 行川。

 ガアドレイルで見辛いでありますが、斯樣に書かれて居りました。

 内側に西暦1960年代御約束の橋歴板が附て居りますね。

 併し結構な斜橋具合であります。
 ほら、矢張さう云ふ年代、昭和四一年三月竣功であります。

 併し此方は 【日光市稻荷町-所野 霧降大橋】 と違ひ、「縣」が正字體では無く「県」と云ふ表記であります。

 正確に自體の遣ひ分けが成された年代と云ふのは有るのでせうか。
 高欄は混凝土板を二本使用しました意匠であります。

 では右岸側へ移動致します。
 木揚場橋。

 此方も笹で見辛いでありますが、斯樣に書かれて居りました。

 併し苔生した感じが中々に良い雰圍氣であります。
 行川。

 左右兩岸で對稱の銘板も"らしい"と云ひますか、如何にもでありますね。

 併し一見質實剛健的な親柱の樣でありますのに、外側が斜に成つてゐると云ふ御洒落さは、最早戰後では無いと云つた處でせうか。
 横から見ました處、二徑間の、此方は牀版橋でせうかね。
T字で此主桁の薄さは無いでせうから。

 其と、舊橋の痕跡が在るか如何か良く見てみましたが、確認出來ませんでした。
以前、戰前なら餘斜橋では架け無いと致しますと、此方の冩眞を撮る爲に入つた平場が、實は舊橋時代の線形だつた部分かも知れません。

 まあ、斯う云ふ山中で、否、だからこそ此時代の橋が見られたのは良かつたであります。

 出來れば戰前物件が見たかつたと云ふ贅澤は云ひません。

 以上、御附合有難う御坐いました。

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