2675年 10月 6日 探訪
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此方は
【眞岡市東郷 御橋】
依り約一キロ弱程下流の五行川に架る、栃木縣道二五七號線の舊道に架る橋であります。 まあ、高欄が更新されてゐるのがアレでありますが、結構な年代物でありますのは見て取れますので、不取敢此方右岸側から見て行きます。 |
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妹内橋。 簡素な樣でゐて、結構凝つた意匠の親柱だと思ひます。 曲面を多用してゐ度り、多分逆傾斜の先驅に成つたのでは無いかと思はれる樣な處も有り、良くも惡くも質實剛健な時代から脱却し始まつた頃の象徴の樣な感じであります。 |
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五行川。 反射材が之だけ貼られてゐると云ふ事は、此先に在る 【眞岡市島 御前橋】 もさうなのでありますが、交通量の多さに事故も多かつたと云ふ事なのでせうか。 下の方に良い物が附て居りますねえ。 |
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昭和卅八年一月竣功でありますか。 新幹線に東京五輪の一年前でありますよ。 戰後日本、否、世界が一番良かつた頃、でせうか。 もう此頃には「縣」では無く「県」なのでありますね。 其に何と無くの寂しさを感じます。 |
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横から見ますと、桁はスラブ形式、牀版橋と云ふ物でありますね。 して、現在の高欄はアレなのでアレでありますが、少々調べました處、元々は混凝土板を、多分三枚水平に配置しました意匠だつた樣であります。 で以て、現在の物に更新されましたのは、平成十年前後頃の樣であります。 では、左岸側へ移動致します。 |
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妹内川。 親柱内側に工事銘板が附てゐる年代頃の定番通り、左右兩岸で對稱の銘板の樣であります。 併し下側の曲面の處理が美しいでありますね。 國鐵の151系や來るべき新幹線の0系の樣に、當時としましては手荒くモダアンだつたのでは無いでせうか。 |
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五行川。 此方の親柱は一度折てゐるか何かで、一が變つて居りますね。 十サンチか十五サンチ程外側に後退してゐるのでは無いでせうか。 |
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さうして思ひますのは、戰後の新時代なのでせう、此年代頃からT字桁依りもスラブ形式の橋を多く見掛る樣に成りますのも。 併し橋脚、桁との接合部分の補強が如何にもと云ふ感じであります。 高欄の更新で、見た目の重厚さは薄らいでゐる樣にも感じで仕舞ますが、其でも架橋當時の雰圍氣は親柱に感じますので、良い物が見られたなと云ふ處でありました。 以上、御附合有難う御坐いました。 |