茂木町小井戸 名稱不明橋 【二】

2675年 6月 1日 探訪

 【茂木町鹽田 人母地橋】 から一キロ強程鹽田川を遡つて來ました處に架る橋であります。

 此橋の手前で二本の川が合流する形に成るのでありますが、此方の方が太いのに鹽田川の支流であります。
で以て、勿論河川名は不明であります。

 でありますが、まあ、何しろ御覽の有樣でありますから、仕方が無い處とでありますかね。

 不取敢此方、左岸側から見て行きます。
 銘板が附樣には成つてゐるのでありますが、ねえ。

 て、おや、此方は後年に成つてから作り直されてゐる物の樣であります。

 元々の姿と同一に再生するとは、昭和卅年代の人に見習つて欲しい處でありますね。呵呵
 此方が元からの物の樣であります。

 が、併し之、銘板は元から附てゐ無かつたのでせうか。
破壞して外した痕跡は無いので、最終的に現地では無名状態に成つたと云ふ事なのでありますかね。

 何か、下の方に外した形跡が無きにしも非ずな樣な氣がし無いでも無いでありますが。
 まあ、高欄の意匠からして昭和卅~四十年代半ば頃、西暦で云ふと1960年代の物だとは思ひます。

 其にしましては親柱の痛み具合に手荒く違和感を感じるのでありますが。

 では、右岸側へ移動します。
 嗟呼、此方もであります、か。

 工事銘板が親柱の内側に附か無い頃に成つて仕舞ふのでありますかね。
と云ふ依りも、 【茂木町鹽田 稻屋橋】 の舊橋側の親柱を想起させる意匠でありますよね。

 若かして、此方もさう云ふ事なのでありますかね。
 はい、御疲れ樣でありました。
 横から見ますと、所謂牀版橋でありますね。

 否、矢張此方の橋臺も少し混凝土が盛られて居りますね。
さうして、寫眞には撮つて居りませんが、此方側の橋臺にも盛られた形跡が御坐いました。

 と云ふ事で、橋臺、親柱は其儘活かし、桁だけ新規に架替た物件と云ふ事で良いのかも知れません。

 多分、元々はT字桁の戰前混凝土物件だつたのでは無いかと推察致します。

 以上、御附合有難う御坐いました。

戻る