茂木町鹽田 稻屋橋

2675年 6月 1日 探訪

 國道一二三號から栃木縣道廿七號線に入り、直に左折した處に在る橋であります。

 と云ひますか、此方が元祖水戸北街道だと云ふのが後日分つたのでありますが、其は又後程じつくりと云ふ事で。

 まあ、見た目に年代は簡單に推察可能かと思ひますが、其でも見て行きませう。

 不取敢此方、左岸側からであります。
 稻屋橋。

 では無くて、新字體で「稲屋橋」と書か無いといけませんね。

 まあ、極普通の親柱でありますね。
と云ひますか、此材木だけで補強に成つてゐるのでせうか。
 其横には工事銘板が御坐います。
昭和卅九年十二月竣功でありますね。

 して、さう、幅員三.七米と記されてゐるのでありますが、斯う云ふ場合つて高欄も含む桁全體の幅なのでせうか。
其共路盤のみの幅を云ふのでありますかね。
 鹽田川。
否、塩田川。

 と云つても此鹽田川は市貝町を流れる河川とは別物であります。

 うむ、と成りますと、逆に一般的な名稱と云ふ事なのでありますかね、鹽田川と云ふのは。
案外岩鹽を含む地質を流れる川、と云ふ事なのでせうか。

 併し、此方も華奢さうな材木一本で補強されて居りますよ。
 高欄は混凝土管を二本使用しました、昭和卅年代鐵板の意匠であります。

 では、右岸側へ移動致します。
 稻屋橋。

 何か左岸側と意匠が違ふのでありますが。
不取敢、此方側の方が凝つた造形でありますよ。

 唯、頭の部分が補修されゐると云ふか、左岸側に合はせて作り替へられてゐると云ひますか、一寸さう云ふ新しさを感じます。
其に、路盤には舖裝が可也盛られてゐると云ふ印象であります。
 鹽田川。

 年代的に左右兩岸對稱で良い筈でありますが、此方側には何方にも工事銘板が附られて居りません。

 其に、銘板の大きさが横の飾りの穴と違ひますから、此は何か祕密が隱されてゐるのでは無いでせうか。

 と云ふ感じで、何か一寸不思議な橋であります。
 横から桁を見ますと・・・

 て、一寸待て。
思ひ切り先代の橋臺跡が在るでは御坐いませんか。

 えゝと、一寸待つて。
河川改修で擴幅されて架橋し直したのが昭和卅九年と云ふ事でせう。
と成りますと、道路の擴幅はし無かつたので右岸側の橋臺を其儘活用したと云ふのは分るのでありますが、では、一體殘された橋臺は何時頃の物件なのでせう。
 此方右岸側を見ますと、成程、確に橋臺には混凝土を盛つて、今の橋を載せる爲に少し嵩上げされてゐる事が見て取れます。

 其に此凝つた意匠の親柱、戰前物件で先づ間違ひ無いとは思ふのでありますが、何共判斷が附ません。
 此方から見た方が分り易いでありますかね。

 現在ではスラブ形式、所謂牀版橋に成つてゐるのでありますが、此感じからしますと、多分先代橋はT字桁だつた事だらうと推察致します。
 併し何と云ひますか、まあ、如何せなら兩岸共に同じ意匠の親柱にすれば良かつたのでは無いかと思つて仕舞ます。

 して、きつと其時に銘板は四枚共新調したのでは無いのかな、とは想像致しました。

 と云ふ事は、舊來からの銘板は下に埋れてゐるのでせうか。
でありましたら、何か勿體無いでありますよね。

 併しまあ、斯う云ふ何氣無い處に當然の樣に斯う云ふ物が殘つてゐて、誰も見向もしてゐ無いと云ふのが良いでありますね。

 以上、御附合有難う御坐いました。

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