2675年 6月 1日 探訪
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【茂木町鹽田 木橋二本】、
此方の直傍に在る橋であります。 ぱつと見に大凡の年代は想像に難く無いのでありますが、微妙に凝らした意匠と云ひますか、幾分古風な雰圍氣を漂はせて居りますが、如何な物でせうか。 では左岸側から見て行きます。 |
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塩田川。 意匠的には別段何の變哲も無い親柱でありますが、銘板、之大理石とかでは無く、混凝土板を別に入れて其處に文字を彫つてゐる樣であります。 茂木町ではアレ、 【茂木町山内 木之元橋】 が斯う云ふ感じでありましたね。 |
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と云ひますか、此文字を彫ると云ふのは、餘程念入に深く彫られ無い限り、手荒く讀み辛いのでありますよね。 其な此なが、斯う云ふ彫刻銘板の衰退した要因でせうか。 と云ふ事で、近寄つて見てみます。 |
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人母地橋。 えゝと、如何云ふ意味が有るのか氣に成りまして、ネツトは勿論昭和十二年の廣辭林や第二版の廣辭苑で調べて見ましたが、不明でありました。 |
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高欄は混凝土管を二本、所謂昭和卅年代の鐵板的意匠でありますから、如何見てもさう云ふ年代の橋でありますね。 では右岸側へ移ります。 |
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昭和三十八年三月竣功。 と云つても竣功なのか竣工なのか完成なのか、字が削れて讀め無い状態なのでありますが、まあさう云ふ意味でありますから如何でも良いであります。 と、少し意外でありますのは、鑄物の工事銘板が親柱内側に附てゐても不思議では無い年代だと思ふのでありますが、如何してさうし無かつたのかが謎であります。 |
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讀み辛いでありますが、「にんぼじばし」と書いて有ります。 本當、如何云ふ謂が在るのか分りませんが、何か昔話的な謂れが在りさうな名前であります。 と云ひますか、「地」なのでありますから「じ」では無く「ぢ」以下省略。 |
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桁は多分、此薄さからしましてスラブ形式で良いのだと思ひます。 此處は舊橋の痕跡が無く、少々物足り無い感じだつたと云ふのは内緒であります。 |
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して、先程の木橋の方を見ている譯でありますが、混凝土塊團と石積の使ひ分けとか、全て混凝土の護岸にする譯では無いとか、
何と無く未だ自然との共生を模索してゐた時代の名殘なのかなあと思ひ眺めて仕舞ました。 現代は思ふ處多々有れど、まあ何も云はずにゐるのが一番かなと思ふ次第であります。 以上、御附合有難う御坐いました。 |