壬生町藤井壬生甲-壬生甲、壬生乙 高舘橋

2681年 2月 16日 探訪

 此方は 【石橋町細谷 細谷橋】 依り三キロ程國道三五二號を西進した處、江川に架る橋であります。

 其ぱつと見の姿から、如何にも昭和卅、四十年代の橋と云ふ感じでありますが、其實如何でせうか。

 と云ふ事で、此方左岸側から見て行き度いと思ひます。

 因に、一寸ややこしいのでありますが、此方左岸下流側が藤井、上流側が壬生甲、右岸上流側が壬生乙、下流側が壬生甲と云ふ地區の別れ方に成つて居ります。
 高舘橋。

 親柱自體の高さは高欄の柱と統一されて居りますが、地覆と連續した下部の意匠等、 【小山市梁 梁橋【新】】 と可也似て居りますので、先づ同年代の物件と云ふ事だと思はれます。
 江川。

 江川つて彼方此方に在る樣でありますが、栃木縣内で何本在るのかと思ひ調べました處、如何やら五本は在る樣であります。
 高欄は混凝土管を二本使用しました意匠であります。

 では右岸側へ移動致します。
 高舘橋。

 之は西暦1960年代の特徴、兩岸で對稱配置の銘板であります。
 江川。

 親柱は橋臺側に附て居ります。
 横から見ました處、牀版橋でありました。
で以て、橋歴板は何處にも附て居りませんでした。

 其と、舊橋の痕跡は如何かと思つたのでありますが、同じ場所に架つてゐた樣でありますので發見出來ませんでした。

 併し、此處から二五〇米程西進した處、黒川に架る東雲橋は兩側に歩道部分も出來た新しい物に架替られて居りますのに、此方は良く歩道も無い儘に殘つてゐるなと驚いたのでありますが、 まあ、架替に成つたとしましても、其前に斯うして冩眞に收められたのは良かつたであります。

 因に竣功年でありますが、栃木縣の橋梁點檢結果で確認しました處、昭和四四年でありました。
まあ、豫想通りでありましたね。呵呵

 以上、御附合有難う御坐いました。

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