黒磯市鍋掛-越堀 昭明橋

2680年 9月 29日 探訪

 此方は 【黒磯市本郷町、橋本町-那須町高久甲 晩翠橋 【一】】 依り五キロ半程那珂川を下つた處に架る、栃木縣道六十號線の橋でありまして、現在の國道四號、陸羽街道が出來る前、奧州街道の道筋であります。

 して、最初は道路橋の部分が其也の年代の橋で、後から此方の人道橋が出來たのだらうと思つてゐたのでありますが、實は逆でありまして、此方の方が古く、 道路橋を新に架直しましたので、歩道に轉用された度と云ふ事でありました。

 まあ確に此自動車一臺が通れる程度の幅員、辛じて輕自動車同士が何とか擦違へる程度では時代遲れだつたでせうから新造されるのも當然であります。
とは云へ、歩道として殘した邊に何か歴史的な物を感じて心が彈むのでありますが、其實如何でせうか。

 と云ふ事で此方、右岸側から見て行き度いと思ひます。
 昭明橋。

 何處と無く可愛らしい字體の銘板であります。

 其と、洗出仕上且つ凝つた意匠の親柱が此方の橋の建造に掛る意氣込を感じさせて呉れます。
 成程、昭和廿六年建造なのでありますね。

 戰後六年にして是だけ立派な物が作れる樣に成つたと云ふ事が感慨深いであります。

 勿論、「縣」の正字體もうれしいのでありますが、普通にもう英數字且つ左からの横書の時代なのでありますね。

 色々と、遠いなあ。
 那珂川。

 此方の親柱は手荒く綺麗でありますね。

 矢張意匠は近い年代の 【藤原町中三依 三依橋ト舊橋跡】 との共通性を感じます。
 高欄は後年に成り更新された物でありますが、元々は矢張上記の三依橋の物と同樣の意匠だつた樣であります。

 では左岸側へ移動致します。
 しようめいばし。

 字體も素晴しいでありますが、全て同じ大きさの假名を遣ふ邊に戰前を感じさせて呉れ、手荒く嬉しく成つて仕舞ます。
 昭和二十六年十二月成。

 橋歴板はアレとしましても、出來れば銘板は縱書で見たかつたと云ふのが本音であります。

 とは云へ、意匠的、新字體的には横書、でありますよね。
 横から見ました處、二徑間の、若干弧を描いて居りますが、之はプラツトヽラスで良いのでせうか。

 して、一寸氣に成つたのでありますが、土木學會附屬土木圖書館橋梁史年表で調べたのでありますが、此方の完成年では鋼アーチ橋、下路單純プラットヽラスと書かれて居りまして、 其後昭和四一年には架替、永久橋と記されてゐるのであります。

 でありますので、此方は架替後の姿なのでせうが、正直な處、正確な事は分ら無いと云ふ感じであります。
 因に、現在の道路橋側は平成元年に架橋されました。
其右岸側銘板には由來が書かれて居りまして、

 『昭明橋とは、昭和9年2月20日木橋と
 して架設され、「昭和の新しい時代を明るく」
 という願いをこめて舊鍋掛村の住民が命名し
 たものです。』

 と書かれて居りました。

 元々渡河地點だつた處に架橋し度と云ふのが流石昭和新時代と喜ばれた歴史が感じられ、手荒く滿足した物件でありました。

 唯、初代橋は僅か四年で流失して仕舞つた樣でありまして、其木橋時代は儚かつたのが殘念であります。

 以上、御附合有難う御坐いました。

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