黒羽町須賀川 清水橋

2677年 3月 7日 探訪

 此方は 【黒羽町須賀川 新清水橋】 の直隣に在る橋であります。

 【黒羽町須賀川 市場橋】 同樣栃木縣道十三號線の舊道に當る部分の橋でありますので、多分に竣功年度もほぼ同時期なのでは無いのかなと思ふのでありますが、其實は如何でせうか。

 と云ふ事で、此方右岸側から見て行きます。
 押川。

 ぱつと見には見辛いのでありますが、少し離れて良く見ますと押川と混凝土に直接彫られてゐるのが確認出來ました。

 市場橋とは違ひ、笠石の意匠は上部の尖つた極普通、低蠻的な意匠でありますので、若かしますと市場橋依り後年の物件なのかも知れません。
 清水橋。

 此方も同樣に、少し離れて觀察致しますと清水橋と確認出來ました。

 うむ、市場橋とは違ひ、未だ竣功年度は分ら無いでありますね。
 高欄の意匠もほぼ市場橋同樣でありますが、此方は柱の上部が出て居りまして、少し凝つた感じに成つて居ります。

 若かしますと此方、清水橋の方が若干古いのでせうか。

 では左岸側へ移動致します。
 おしかは。

 成程、此方は假名讀みで書かれて居ります。

 正假名遣ひが戰前物件を主張してゐる樣で良い感じであります。
 しみづばし。

 嗚呼、正假名遣ひ良いでありますね。

 唯、竣功年は親柱に書かれてゐ無いのが殘念であります。
 横から見ますと、如何にも戰前の形式と云ふ感じの混凝土T字桁であります。

 此橋臺側に下つてゐるのが何共素敵であります。
 橋臺は贅澤にも親柱の分の幅迄有りますね。
 下から見ますと、横桁は無く主桁が四本の構造であります。

 斯う云ふ戰前物件であらう橋の下側を見たのは始めてなのでありますが、何か桁と桁の間隔が狹く、普段見慣てゐる昭和卅年代物件と違ひ、少し違和感を感じました。
 型枠も跡も中々であります。

 其と、支承は如何成つてゐるのか氣に成る程に確認出來ません。
まさか直附と云ふ事は無いと思ひますが。

 扨、竣功年でありますが、肝心の大田原市橋梁長壽命化修繕計畫を見ても判明致しませんでした。
と云ひますか、平成十一年とか書かれて居りまして、其は無いだらうと云ふ感じと云ひますか、路線名が此方の物件と合つてゐるのかもはつきりとは分りませんでしたので何共云へ無いのでありますが、 確實に其年代とは違ふのは明白でありますので、ぱつと見の印象、特徴から致しまして、多分に昭和一桁から昭和十年前後の物件では無いかと推察する次第であります。

 何れにしましても、斯う云ふ戰前物件、出來る限り長く維持管理をされ、出來る限り末永く殘つてゐて欲しいなと思ひました。

 斯う云ふ具合にじつくりと觀察出來る戰前物件は貴重な存在でせうから。

 以上、御附合有難う御坐いました。

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