栗山村湯西川 伊勢の前橋

2680年 11月 24日 探訪

 此方は 【栗山村湯西川 權現橋】 依り四百米強程湯西川を上つた處、前囘更新した 【栗山村湯西川 移木橋】 からは一キロ三百米程上つた處に架る橋であります。

 ぱつと見、親柱はアレでありますが高欄から如何にも昭和三、四十年代の橋と云ふ感じでありますが、其實如何でせうか。

 と云ふ事で、此方左岸側から見て行き度いと思ひます。
 伊勢の前橋。

 うゝむ、觀光地として後年に成り作替られた樣な親柱でありますが、基礎の部分の樣子から致しますと、何か元から斯うだつた樣な氣がし無いでも無い感じであります。
だと致しますと、之は可也秀逸な意匠なのでは無いでせうか。

 正直、今でも、否、今だからこそ十分に通用する意匠だと思ふからであります。

 因に、橋名の由來は分りませんでした。
 湯西川。

 ね、苔生してゐる感じでありますとか、基礎が削られて作られたと云ふ感じでも御坐いませんしね。

 まあ、字體が何と無く古い感じがし無いでも無いと云ふ感じは致しますが。
 高欄は鐵柵の樣な意匠でありまして、此處だけが年代を表現してゐる樣な感じであります。

 では右岸側へ移動致します。
 いせのまえはし。
 ゆにしかわ。

 竣功年を期待しましたが、其々の假名表記でありました。
 横から見ました處、一徑間のI桁鈑橋でありました。

 古地圖や航空冩眞を見ますと、元々此處には橋は無かつた樣でありまして、此方が初架橋の樣であります。
因に竣功は昭和四五年であります。

 まあ、此意匠が當時の物だと致しますと、中々に先進的だつたのでは無いでせうか。

 唯、一つ氣に成るのは、橋梁點檢結果を見ますと「イセノマエバシ」と表記されて居りますので、濁りを嫌ふ惡しき慣習に毒された此方の親柱、 矢張後年に作直された物なのかも知れ無いと云ふ處であります。

 以上、御附合有難う御坐いました。

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