2681年 11月 30日 探訪
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此方は
【栗山村川俣 楡の木澤橋】
依り栃木縣道廿三號線を二キロ程進んだ處、下ノ澤に架る舊道部分の橋であります。 其纖細な高欄の見た目から昭和卅年前後頃の橋かと思はれますが、其實如何でせうか。 と云ふ事で、此方左岸側から見て行き度いと思ひます。 |
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親柱は健在の樣でありますが、數日前の積雪が殘つて居りまして見えませんね。呵呵 |
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雪を拂つて見ましたが、銘板は消失して居りました。 |
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上流側は親柱自體消失して居ります。 |
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高欄は細い鐵管を二本使用しました意匠であります。 【藤原町中三依 三依橋ト舊橋跡】 に通ずる物を感じますので、ほゞ同年代と云ふ處でせうか。 では右岸側へ移動致します。 |
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昭和二十八年十一月。 手荒く立派な親柱が殘つて居りました。 先づ間違無く林道時代の規格の物かと思はれます。 さう考へますと、昭和廿年代の林道規格物件が殘つてゐると云ふのは素晴しいであります。 |
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親柱表面は洗出仕上、と云ふ譯でも無さゝうなさうな樣なと云ふ感じであります。 多分に鑄鐵製であらう銘板が立派であります。 |
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下流側の親柱は消失して居りました。 |
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横から見ました處、一徑間の鈑橋でありました。 其一徑間にする爲、兩岸共隨分と迫出して橋臺が作られて居ります。 併し、 【宇都宮市石那田町 田川大橋】 同樣如何にも昭和廿年代物件らしく、中間補剛材が附てゐるのが素敵であります。 因に、何故橋名が"下ノ澤橋"と分つたかと云ひますと、現在の橋が"新下の沢橋"と命名されて居りましたので、だつたらさうだらうと云ふ事で表記致しました。 まあ、林道規格と一般道規格では色々と違ひが御坐いますが、斯樣に現存してゐる昭和廿年代物件が見られ、手荒く滿足でありました。 以上、御附合有難う御坐いました。 |