2680年 12月 15日 探訪
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此方は
【栗山村黒部 黒部橋】
依り五キロ弱程栃木縣道廿三號線を進んだ處、
【栗山村野門 大川橋】
の六百米程手前、砂防堰堤の上に架る橋であります。 大川橋へ向ふ途中、何氣に右手を見ました處發見し度のでありますが、如何云つた物でせうか。 不取敢此方、一應左岸側と云つた良いのかな、から見てみたいと思ひます。 |
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混凝土製の堰堤に不釣合な感じでありますし、橋と云ふにはアレな感じも致しますが、まあ橋、木橋であります。 もう使用され無く成つて久しいのでせう、木が何本も生えて來て居ります。 不取敢行つて見ませう。 |
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道の状態から、既に廢道状態だと思ひます。 石積の具合からしまして、多分戰前からの道なのでせう。 |
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橋の手前迄來ました。 既に澤も埋つてゐる樣な感じでありますし、此方も上に土が載つて居りますので、木橋と云ふ依りも土橋と云つた方が適切でありますかね。 上側にも斯樣な状態で木が生えて居りますのが何共、えゝ。 |
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之が元からの澤の護岸なのでありますかね。 |
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之で橋の中央部だと思ふのでありますが、流石土橋、橋を渡つてゐると云ふ感覺は御坐いませんでした。 |
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橋臺や橋脚は如何成つてゐるのかと思ひ近接して撮つて見たのでありますが、ちやんと木が載る部分は作られてゐる樣であります。 扠、竣功年でありますが、航空冩眞で分る事は、昭和四六年の冩眞には冩つてゐると云ふ事だけでありまして、其以前の物を見る限り舊線形と云ふ譯でも無さゝうであります。 多分でありますが、現道が擴幅若くは此方の砂防堰堤の工事に伴ふ迂囘路的な物だつたのでせうか。 一枚目の冩眞で分りますが、堰堤の兩翼壁は戰前物の樣な石積でありますので、元から線形は變はつてゐ無いと思ふのであります。 と云ふ事は、考えへられるのは堰堤を作つた後に道路擴幅の爲の迂囘路的な物、だと思ふのでありますが、何共難しいでありますね。 まあ、中々に興味深い物が見られて大滿足でありました。 以上、御附合有難う御坐いました。 |