栗山村黒部 黒部橋

2680年 6月 15日 探訪

 此方は 【栗山村日蔭 江戸川橋】 依り二キロ半強程栃木縣道廿三號線、途中から縣道二四九號線を進んだ處、黒部川、現土呂部川に架る橋であります。

 まあぱつと見からして更新された高欄以外は如何にも古さうな感じでありますが、其實如何でせうか。

 して、さう、最初は現在の廿三號線の方から二四九號線の橋として遣らうかなと思つたのでありますが、出來れば元の道筋の縣道廿三號線として遣つた方が、 架橋當時の雰圍氣を樂しめるのでは無いかと思ひました。

 と云ふ事で、此方左岸側から見て行き度いと思ひます。
 黒部川。

 丸で石積や煉瓦積を想起させ、曲線を主體とした意匠は、若かしますと黒部ダムを意識してゞせうか。

 其と、架橋當時此方の河川は黒部川だつたのでせう、現在では土呂部川と云ふ名稱に成つてゐる樣でありますが。

 嗚呼併し、若かしますと銘版下部の部分には元々橋歴板が附てゐたのかも知れませんね。
だとしますと手荒く勿體無いであります。
 くろべばし。

 親柱の端の意匠も凝つて居ります。

 では右岸側へ移動致します。
 高欄は如何やら二六六八年(西暦2008年)以降二六七三年迄の間に現在の物に更新された樣であります。
其と、地覆も全面的に刷新されてゐる樣でありますが、鋼材が卷かれてゐるのは補強の爲でせうかね。

 因に、元々の高欄は 【栗山村日向-日蔭 竹の上橋】 と同樣の物だつた樣であります。

 と云ふ事は、竣功は昭和卅年前後頃と云ふ事でせうか。
 排水桝も更新後の物であります。
 くろべがわ。

 併し何でせう、最初はもつと大きい銘板を附る豫定だつたのでせうか、一寸大きさが合ひませんよね。
 黒部橋。

 親柱、基本的には交通量が少いからか、良い状態が保たれて居ります。

 但し、一つ上の冩眞の物は路面凍結か何かで自動車滑つて打當つて壞れたのでせうか。
 横から見ました處、鈑桁だと云ふのは分るのでありますが、表記されてゐる處に依りゲルバア共カンチレバアプレエトガアタア共書かれて居りまして、 何方が正解なのか素人の拙には分りません。
但し、土木學會附屬土木圖書館の橋梁史年表ではカンチレバアプレエトガアタアと書かれて居ります。

 まあ、何方にしましても昭和廿八年竣功なのは確かな樣でありますので、結構な年代物を愛でられたと云ふ點では大滿足でありました。

 併し、當時的表現を致しますれば、僻地に是だけ立派な橋が架設されてゐたと云ふのは、觀光目的の人を誘致するには十分な材料だつたのでは無いでせうか。

 嗚呼、其と、如何見ても尖頭型の橋脚の上に附足す樣に今の橋脚が作られて居りますが、若かしますと先代橋は 【黒磯市橋本町-那須町高久甲 晩翠橋 【二】】 の樣に木造、若くは鋼製トラスだつたのでは無いでせうか。

 以上、御附合有難う御坐いました。

戻る