2678年 1月 15日 探訪
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此方は
【烏山町下境 解石橋】
依り三キロ程栃木縣道廿七號線を南下した處、名稱不明河川(多分小原澤)に架る橋であります。 ぱつと見には今時のガアドレイル高欄でありますし、親柱も無く大して取上る物件でも無いであらうと思はれる、當り前過て全く印象に殘ら無い物件であります。 でありますが、栃木縣橋梁點檢結果を見て居りました處、意外と古い物件でありましたので今囘取材對象に成つたのでありますが、 實はもつと素晴しい祕密が在りました。 まあ其は後程の御樂しみと云ふ事で、不取敢此方右岸側から見て行きます。 |
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某ストリイトビウの西暦2014年の畫像では直附の古三型ガアドレイル高欄でありましたが、今囘の探訪時には御覽の通り現行型のガアドレイルに交換されて居りました。 其と、左岸側は連續してガアドレイルが繋つてゐた樣でありますが、現在は道路部分とは分離されて居ります。 當然の樣に何の銘板も一切御坐いませんね。 |
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上流側を見てみました。 いやあ併し、橋上を走つてゐるだけでは全く氣附ませんが、可也高い位置に架橋されてゐるのでありますね。 |
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下流側の眺めであります。 ひやあ、川牀迄高い高い。 |
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もつと下流側つて如何成つてゐるのだらう、と思つて見た處、何か在りました。 |
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其前に此方を横から見て、と思つた處、斯樣な場所に工事銘板が附て居りました。 成程、昭和四三年二月竣功でありますね。 |
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其にしましても凄い高さに橋脚を建てた物であります。 而もパイル形式でありますからね。 と云ひますか、途中の補強とか考へても何と云ひますか、と云ふか、撤去に至ら無い經緯は何だつたのでせうか。 まあ、御蔭樣で素晴しい遺跡として見られたのでありますがね。 |
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因に、現橋の左岸側に橋臺の痕跡を求めたのでありますが、分りませんでした。 |
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と云ふ事で、縣道を少し北上しまして舊道と思しき方へ入つて來ました。 で以て、見るからに此處から橋と云ふ場所に來たと云ふ譯であります。 |
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茂みを覗込ますと、をゝ、聳立つて居ります。 |
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橋臺を確認し度いのでありますが、此手前側の混凝土構造物がさうでせうか。 |
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横から見ましても、何か、良く分りません。 |
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併し何だらう、全部で四段に成つてゐると云ふのでせうか。 パイル形式で之は凄いなと思ひました 【黒羽町須佐木-雲岩寺 三和橋】 の比では無い位高いでありますよね。 多分、倍程の高さは有るのでは無いでせうか。 |
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で以て、澤自體は此だけであります。 まあ、手荒く深い溪谷だから斯う成つてゐると云ふのは分るのでありますがね。 おや、護岸にはきちんと石積が施工されて居ります。 之は、多分那珂川側から近附て工事したのでせうね。 と云ひますか、之は下に降て見てみ度い感じであります。 |
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嗚呼、現橋は鈑橋でありましたね。 併し、斯樣にカアブミラアが附てゐるのは、橋が現役だつた頃の名殘でありますかね。 扨、では此方舊橋の方でありますが、航空冩眞で確認致しますと、昭和卅八年以降四二年迄の間に架橋された物件の樣であります。 と成りますと、長くても僅か五年程度しか供用されてゐ無かつた事に成るのでありますが、其とは別に栃木縣道廿七號線の經緯で調べて見ました處、 自動車が通れる道に成つて開通したのが昭和四三年の樣であります。 其で、多分何處かに拙が以前書いたと思ふのでありますが、此方廿七號線を開通させたのは自衞隊で、通稱自衞隊道路と年配の方は呼んで居りました。 而も鹽那道路建設の前にだと云ひますので、さう致しますと此方の橋も自衞隊關係で架橋したと云ふ事で、年代的には冩眞の通りで合つてゐると思ひます。 では何故斯う成つたかの考察でありますが、根本的な惡線形だつたから、之だけなのでは無いでありますかね。 まさか橋脚に構造的缺陷が有つたとかは無いでせうから。 何か此高さをパイル形式で建造すると云ふのも實驗的要素が強かつたのでは無いかと推察して仕舞のでありますが、上記の三和橋同樣の上部構造をしてゐたのでは無いかなと思ひますと、 現役の時の姿が見てみたかつた樣な氣が致します。 以上、御附合有難う御坐いました。 |