2676年 11月 15日 探訪
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此方は
【芳賀町給部-烏山町向田 栃木縣道六四號宇都宮向田線舊、舊々道 【其八】】
と
【芳賀町給部-烏山町向田 栃木縣道六四號宇都宮向田線舊、舊々道 【其九】】
に書いてゐる荒川橋から荒川を下る事約一キロ強、那珂川との合流點に近い處に架る國道二九四號の橋であります。 一見して然程の古物件とは思へ無かつたのでありますが、近年此方、國道二九四號は第二の國道四號的位置附に因り擴幅や線形改良が行はれて居りますので、 萬が一にでも架替と成つては手遲れでありますので、今の内にと思ひ探訪致しました。 まあ、其第二の國道四號云々も計畫が頓挫してゐるとかゐ無いとか色々云はれて居りますので、今後如何成るのかは分りませんがね。 と云ふ事で、不取敢此方右岸側から見て行き度いと思ひます。 |
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向田橋。 立派な親柱が國道の橋だと云ふ主張をして居る樣でもありますが、其上で逆傾斜が附た意匠に大凡の年代が現れてゐる樣に思へます。 其と、隨分と状態が良い樣に思へますが、若かしますと全面的に補修、若くは造り直されてゐるのかも知れません。 |
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荒川。 さうでありますよね、此方を見れば其相應の年數を經過してゐるのだと分ります。 何しろ、表面が一見しますと洗出仕上の樣に見えて仕舞ますから。 併し結構な斜橋振りであります。 では、左岸側に移動致します。 |
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當然、横の人道橋を歩いて行くのでありますが、さうして横から見ました處、鈑橋でありました。 唯、面白いのは、單成る鈑橋では無く、地覆の方にも桁が在りまして、ストラツトで主桁と繋つてゐる事であります。 |
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橋臺部分であります。 親柱の部分は迫出す樣な形で造られてゐる樣であります。 |
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橋脚、斯う云ふのは何型と云ふのでせうか、拙には分りません。 桁の落下防止的な部品は後年に成つてからの施工では無いでせうか。 併し橋脚の曲線部分が綺麗に出來てゐる事から、昭和卅年代頃迄の施工とは違ふと云ふ事が分ります。 |
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懐しい姿の街燈が附て居ります。 斯う云ふのは、多分昭和卅年代から四十年代の物の樣な氣が致します。 |
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向田橋。 嗚呼、左右兩岸で對稱の銘板の樣でありますから、西暦で云ふ1960年代物件でありますね。 多分。 其にしましても、此方の親柱が一番原型を保つてゐる樣な感じであります。 |
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荒川。 草冠だけが舊字體の樣で頑張つて居ります。 あ、矢張内側に工事銘板が御座います。 |
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成程、昭和四十年三月竣功でありますか。 道理で何と無く此方、 【氏家町向河原-上河内村下小倉 氏家大橋】 に近い雰圍氣を感じた譯でありますよ。 |
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高欄はさう、如何にも昭和四十年前後と云ふ感じの意匠であります。 |
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最後に排水桝でありますが、鑄物の結構大きな物でありました。 して、アスハルト舖裝の方が高く成つて居りますので、多分元々は混凝土の牀版が其儘路盤だつたのでは無いでせうか。 扨、先代橋はここからも少し下に、多分木橋で架つてゐたであらうと思はれる物でありますので、此處では此方の橋が初代と呼んで良いの、かな。 まあ、ぱつと見には普通の物件と云ふ感じでありましたが、桁が特徴的な良い物件でありました。 以上、御附合有難う御坐いました。 |