芳賀町給部-烏山町向田 栃木縣道六四號宇都宮向田線舊、舊々道 【其八】

2674年 11月 4日 探訪

 【其七】からの續きであります。

 【現在地】

 例へば此處、右手を流れる鹽田川の護岸が改修されてゐるのは分るのでありますが、其横が謎の平場でありますし、且つ道路との間に窪地が在るのが何共、 如何捉へて良いのかと思ひまして惱む處であります。

 若かして、窪地の部分の高さが元々の路盤の高さなのかも知れません。

 航空冩眞で確認致しますに、多分現在の道筋と同樣の位置を通つてゐた樣では御坐いますが、此先の三曾橋が後年に成つて架替られて居りますので、 其に向て路盤を嵩上げしたでせうし、右手の平場が架橋迄の假設道路の部分だつた可能性も有りさうな氣がし度りと、何共難しい部分であります。
 【現在地】

 其三曾橋の袂、桁は始まつて居りますのに、斯う云ふ具合に不自然に平場や斜面の法面が在るのであります。

 多分、此邊で元々は鹽田川と直交してゐたのでは無いかと推察する次第であります。
 して、對岸を見ますと、假橋の橋臺だつたのであらう名殘が殘つて居ります。
 で以て、多分此平場が迂囘路に成つてゐた樣に航空冩眞では確認出來るのでありますが、實際の處は不明であります。

 まあ多分さうだつたと思ふのでありますがね。
 【現在地】

 して、此處へ來ますと舊線形部分とは微妙に高低差在りますものね。
 其先も大きく曲率が變更されて居ります。
 現道側を見ますと、勾配が途中で違ふ事から、舊線形はきつと地形に餘り逆は無い樣にして勾配を稼いでゐたのでは無いのかと思はれます。
 でも急カアブ。

 改修された理由が分ります。
 して、此方 【きたたばし】 で再び鹽田川を渡ります。
 【現在地】

 間も無く荒川の渡河地點でありまして、荒川を渡りましたら、市貝町から愈々烏山町向田に入ります。
 橋の手前左側は人の往來が途絶た爲か、植物が侵蝕して來てゐる樣であります。
 其で、素直に今の橋に向ふと思つたら大間違ひでありまして、舊橋は此方であります。
 と云つても既に撤去濟でありますが、此方右岸側には橋臺部分は殘つて居りました。

 但し水量監視施設の樣な物が橋臺の上に出來て居りまして、良い具合に再利用されてゐる樣であります。
 で以て、流石昭和四十年代の施工であります。
御蔭樣で嬉しい事に、橋脚跡は殘して措いて呉れてゐるのであります。

 さう、現在の橋は昭和四十年代、形状からしまして昭和四七年頃の架橋かと思はれます。

 不取敢、昭和四二年の航空寫眞では未だ舊橋で、四九年の寫眞では現在の橋に變はつて居りますので。
 結構な高さが在るのでありました。

 多分、現在の物と高さは其んなに變はら無いと思ひます。
 其と、昭和廿二年十一月のGHQの航空寫眞では舊橋部分が無く、此方に迂囘して渡河してゐた樣でありますので、其方も序でに見て行きます。
 【現在地】

 道の曲り具合等で、此邊から渡河してゐた樣に思ふのでありますが、當然痕跡は皆無でありました。

 【其九】に續く。

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