上三川町石田 石田橋【二】

2680年 11月 10日 探訪

 此方は 【宇都宮市下横田町 孫八橋】 依り二キロ程田川を下つた處に架る橋であります。
其と、 【上三川町石田 石田橋【一】】 の袂の道を六百米程西進した處と云へば、同一名稱なのも納得でせうか。

 扨、ぱつと見には昭和四十年代の橋と云ふ感じでありますが、其實如何でせうか。

 と云ふ事で、此方左岸側から見て行き度いと思ひます。
 孫八橋の樣な横長で堅牢さうな親柱に、おつと、殘念な事に銘板は消失して居ります。

 是は多分盜難の被害に遭つた樣な氣が致します。
 田川。

 何故か此方側は銘板が殘つて居りました。
 高欄は鐵柵の樣な意匠であります。
 排水桝。

 では右岸側へ移動致します。
 石田橋。

 多分でありますが、銘板は兩岸で對稱だつたのでは無いかと思ひますので、消失してゐるのは此方同樣"石田橋"だつたのでは無いでせうか。
 田川。

 併し親柱、四本共可也状態が良い儘でありますので、交通量は然程多く無いのでせうか。
 横から見ました處、二徑間の、之はPCT桁でありますね。
RCの孫八橋との一徑間の長さの違ひが面白いであります。

 扨、竣功年でありますが、橋歴板が無いので上三川町の橋梁橋梁長壽命化修繕計畫を見ました處、昭和四一年でありました。

 實はもつと後年、昭和四五年頃の物かと思つてゐましたので、意外と古いなと思つたのでありますが、中々に當時としましては最新工法で作られた橋なのでは無いでせうか。

 因に、舊橋は現在の石田公園の邊の勾配部分だつた樣でありまして、面影は完全に失はれて居ります。
但し其南側に舊堤防跡と思はれる部分が御坐いましたので、何れだけ河川改修で位置が變はつたのかゞ伺知れ、中々に面白かつたであります。

 以上、御附合有難う御坐いました。

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