上三川町石田 石田橋【一】

2680年 10月 27日 探訪

 此方は 【宇都宮市東谷町-下横田町 江川橋】【宇都宮市中島町 中島一號橋】 等の、所謂川田用水からの續きの河川を二キロ程南下した處、江川から井川に成つた處と云ふか、赤澤川への導水路と云ふか、 まあ簡單に書けば用水に架る栃木縣道卅五號線の橋であります。

 ぱつと見には橋らしく無いのでありますが、良く見れば右手に手荒く古さうな親柱と高欄が鎭坐して居ります。
して、先づ間違無く戰前物件では無いかと思はれますが、其實如何でせうか。

 と云ふ事で此方、左岸側から見て行き度いと思ひます。
 下流側は間違無く擴幅されてゐるでせうし、斯樣な現状でありますので、まあ良いでせう。
 何と無く"昭和六年十二月竣功"共讀め無くも無いのでありますが、ほゞ判讀不能でありました。

 して、調べて見ました處、昭和六年完成なのは間違御坐いませんでした。

 では右岸側へ移動致します。
 石田橋。

 左岸側とは違ひ、此方ははつきりと判讀出來る深さで文字が彫つて有りましたので助かりました。

 併しまあ、見事に戰前、昭和十年迄の橋と云ふ感じであります。
でありますので、雰圍氣的には年代の近い所爲か 【宇都宮市下平出町 二ノ橋】 と似た物を感じます。

 笠石部分、後年に成り補修され度のでありますね。
 高欄は正八角形の穴が開いた意匠であります。

 【高根澤町寺渡戸 名稱不明橋】 と同一の意匠と云つても良いでありますね。
是でやつと戰前物件で同一の意匠の高欄を見られました。
 横から見ました處、何と無くT字桁の樣な造の橋臺なのでありますが、斯樣に薄いT字桁は幾ら戰前でも無いでせうから、普通に牀版橋だらうと推察致します。

 併しまあ、現役の縣道供用物件で、少しでも當時の姿が見られる儘殘つてゐる物が見られましたので手荒く滿足でありました。

 以上、御附合有難う御坐いました。

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