上河内村今里 下小倉 上田 彌生橋 水仙橋 赤崖橋 黒渕橋 下組橋橋 【西鬼怒川橋梁群 其七】

2673年 6月 4日 17日 探訪

 扨々、どんどんさくつと行きませう。

 此方は今里地區に在る、愛宕橋依り四百米程下流側に架る彌生橋であります。
昭和五二年三月竣功の、所謂規格物の鈑橋であります。

 ガアドレイルも年代に相應しい、現在の型と同一の物であります。

 意外でありますのは、親柱も立派な物が建つて居り、其に伴ひ立派な銘板が附てゐると云ふ處でせうか。
別段、元々此處に橋が架つてゐたと云ふ譯でも無いと云ひますのに。
 此方は彌生橋から六百米程下つた處の水仙橋であります。

 竣功は昭和四八年三月の、矢張規格物鈑橋なのでありますが、高欄がガアドレイルでは無いのが特徴でせうか。

 其と、中島橋に通じつつも、依り大型な一風變はつた親柱に成つて居ります。
多分、元々の道筋に架る橋でありますので、重要度が高いから、と云ふ觀點からなのでせうか。
 更に下る事五百米程、此方も規格物鈑橋の赤崖橋であります。

 彌生、水仙と來て風流だなと思つたのでありますが、此處で赤崖とは如何云ふ意味合だつたのでせう。

 と思ひ縣内の橋に詳しい御方に訊きました處、元々此邊は崖に成つてゐた地形だつた爲、赤崖橋と名附られたさうであります。

 併し中々に角張つた獨特な字體の銘板が多いでありますね、西鬼怒川。
 昭和四十八年三月竣工。

 まあ、此方のガアドレイルは年代相應の古三期型でありますので違和感は無いのでありますが、 同年竣功の中島橋が古一期型と云ふのが特異な事だと云ふのが御分り戴けただらうか。

 まあ、此方も特異と云ひますか特徴と云ひますか、左岸側から眺めますと、橋の中央から上流側が今里、下流側で橋の中央迄が下小倉、そこから右岸側迄が上田と云ふ、 三箇所も地區に跨つてゐると云ふ忙しい橋であります。
 此方は下小倉の國道二九三號の橋であります。

 確か元々も橋の兩側に歩道が在つたと思つたのでありますが、成程、後年(皇紀二六六七年 平成十九年)に成り擴幅されてゐる樣であります。

 きつと、此冩眞の歩道部分見える切目が其繼目なのだと思ふのでありますが、近年近隣の宅地化が進んで居りますので、通學路と考へれば納得の改修であります。
 黒淵橋。

 確實に改修後の親柱でありますね。
材質は全く異り混凝土と成つて居りますが、栃木縣道六三號線の羽黒橋に通ずる意匠であります。
但し此方の方が幅廣でありますが。

 と云ふか、縣道が御影石で國道が混凝土なのでありますね。

 して、此方の黒淵橋や赤崖橋等と云つた命名の由來なのでありますが、曾ての西鬼怒川の此邊、如何やら元々崖に成つてゐたり、 黒々とした淵に成つてゐたからなのださうであります。

 此冩眞で云ふ處の水門が在る方、右岸側がさうだつた樣であります。
勿論、河川改修で見る影も御坐いませんが。
 成程、擴幅部分は斯う成つてゐるのでありますね。

 何でせう、所謂ストラツトと云ふ部材と云ふか、方式かと思はれます。

 因に此方、若干の曲線状に架けられて居りますので、下に潛つて見ますと、一本一本の鋼材の高さが違ふのが見物でありました。
 此方は先程の黒淵橋から下る事五百米程の部分に架る下組橋であります。

 竣功は昭和四七年三月。
但し名前の由來は不明であります。

 見飽る位普通の規格橋でありすが、ガアドレイルが古二期型でありますので、何と無く七十年代的懐古趣味に誘はれる樣な物件と云ふべきでせうか。

 何か、雰圍氣が一寸アレな感じがし無いでも無いのでありますが、多分氣の所爲でせう。
 親柱、と云つて良いのか如何か微妙でありますが、其が申し譯無ささうにちよこんと附てゐるのが可愛らしいであります。
而も其處に銘板が附てゐるのでありますから、愛しさも一入と云ふ感じの橋であります。

 と云ふ感じでありますかね、今囘は。

 以上、御附合有難う御坐いました。

 【西鬼怒川橋梁群 其八】に續く。
 西鬼怒川橋梁群 其六は【此方】であります。

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