2673年 7月 1日 2676年 3月 8日 探訪
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根川用水三本目の橋から先の薮を進む事を諦め、素直に西鬼怒川橋へ戻り廻つて遣つて來たのが此方の無名橋であります。 當初の豫定でありますと、右岸の渡河地點に向つて件の三本目から遣つて來て自轉車と共に渡る豫定だつたのでありますが、 何と無く、止て廻つて來て正解だつたと橋の状態を見て思ひました。 何しろ、御覽の通り木製電柱を竝べて鎹で留ただけの橋でありますもの。 其に、木柱つて卅年程前に新規では使はれ無く成つてゐる筈でありますから、木自體少く見積つても其位經つてゐるのは間違ひ無いと思ひますし、 表面に 塗られてゐる防腐劑(クレオソオト油)が見事に流れ落ちてゐる現状を見まして、絶對的に渡ら無ければ不成状況が偶然にも避けられたのは助かりました。 手前側、全部地面に載つてゐるのか怪しく見えるのは氣の所爲でせうか。 |
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まあ、四の五の云つても始まりませんので、不取敢状況をも少し詳しく見て措かうと思ひます。 右端の柱は腐つてますよね、多分。 其に鎹も太い物や細い物等不揃ひでありますし、針金も氣休め程度でしか無い樣に感じます。 大體、之だけ柱と柱の間隔が開いてゐると云ふ事は、架橋當時からしますれば其だけ木が痩たと云ふ事でありますよね。 其の隙間を補ふ爲の板だつて腐つてゐる氣配濃厚でありますし、良いのか惡いのか、其の隙間から木製の橋脚と思しき物の存在は一應確認出來ますが、 緑色に苔生してゐる樣でありますから状態は良く無いと思ひます。 と云ふか、其隙間から出てゐる草、橋脚から生えてゐる樣に見えるのでありますが。 |
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でも結局渡つて見ようと云ふ事で、一歩二歩と樣子見兼て踏出したのでありますが、足裏に傳はつて來る微妙に柔かい感觸と共に、
微妙に撓むのが判ると云ふのは結構な恐怖でありました。 だつて、不用心に踏み出して長靴が滑り、隣の木柱に當たつて鎹が外れて隙間が廣がり足を挾んで仕舞つたとか、其の儘橋を壞して仕舞ひ落橋して仕舞つたと成れば、 本人の怪我だけで濟めばまだしも、橋の架替へ費用等請求された曉には、一體何れだけの請求が來るのか皆目見當も附無い譯でありますから。 |
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其に西鬼怒川の流れなのでありますが、斯うして見ますと大した樣には見えませんが、水量は多分股下近くは有るでせうし、
岸邊の状況が如何成つてゐるのか見え無いと云ふのも不安であります。 第一、流れが結構早いので、石橋を叩いて渡る位愼重に成らざるを得ませんでした。 此方は木橋でありますがね。 不取敢、此中間地點迄來ては引返すと云ふ事を二三囘繰り返して居りました。 |
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でも、最初の寫眞で御分りの通り、渡つた先には田圃が在り、而も機械で植ゑた樣に整然と稻が植ゑて在るのであります。 と云ふ事は、彼の橋を田植ゑ機が渡つたと云ふ事でせうし、事實、鎹の撓み具合からして何か車輪が通つたと云ふ證據でせうから、 高が十五貫目程の人間が乘つた處で大丈夫だらうと思ひ、意を決して渡つたのであります。 其先には隧道に入る直前の根川用水が見えるのでありますが、如何やら一定水量を越えると、下の排水路に流れ落ちる樣に出來てゐる樣であります。 |
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御次は、先程の木橋から三百米程下流に架る此方の物件であります。 まあ一寸アレでアレなのでありますが、河川上は建設省の所有物でせうからアレだと思ふので載せて措きます。 多分きつと、利用頻度は可也低いと思しき物件でありまして、御覽の樣に、曾ては欄干を形成してゐだてあらう材木は、自然に還る途中の状態であります。 其に、横に出てゐる鐡棒の意味も一寸分りませんでした。 |
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路盤は、と云ふか、之を路盤と呼んで良いのでせうか。 何處かで見た事の有りさうな、大き目の用水路の蓋でありますよね。 其をH鋼の桁の上に載せただけでありますし、橋脚だつて逆さにしたU字溝であります。 でも、渡る時の安心感は木橋依り遙に上でありました。 併し、此處で西鬼怒川上流部の草に隱れた岸邊と云ふか護岸の樣子を窺ふ事が出來ました。 如何やら玉石積の樣であります。 と云ふ事は、落ちたら矢張結構な確率で土左衞門と云ふ事でせうか。 橋臺が石積なのか塊團積なのか、一寸面白いと思ひました。 |
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其處から廿米程下流側、二本の混凝土製電柱で架けられた、橋であります。 此方、實は夏場の時點では全く姿が見えませんでした。 まあ、此方の三本共に竣功年は不明なのでありますが、航空寫眞で見ますと、其々昭和五十年以降、と云ふ事だけは云へるのだらうと云ふ處でありました。 |
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して、一番未整備に近く、當時の姿を垣間見る事が出來るであらう一帶を見終へた處、素敵な施設が出迎へて呉れました。 昭和三年四月に運用開始した、發電所なのか變電所なのか、如何呼べば良い施設なのでせう。 因に、インタアネツト上では西鬼怒川發電所と出て居りまして、平成二年の地圖では鬼怒變電所。現在のネツト上の地圖では小室變電所と表記されてゐます。 して、此處で根川用水も西鬼怒川に合流と成る譯でありまして、電力施設からの吐出量も考慮してなのか、西鬼怒川で一番廣い場所に成つてゐるのでありました。 併し上部からの排水路、石積で出來てゐる姿が何共素敵であります。 以上、御附合有難う御坐いました。 【西鬼怒川橋梁群 其四】に續く。 西鬼怒川橋梁群 其二は【此方】であります。 |