上河内村宮山田 西鬼怒川橋他二件 【西鬼怒川橋梁群 其二】

2673年 6月25日 7月 1日 探訪

 扨、道路橋としましては最上流部に在るのが此方"西鬼怒川橋"なのでありますが、結構長い一徑間の混凝土桁橋であります。
以前に通つた時には狹くて古い橋だなと云ふ印象だつたのでありますが、今見ますと何か違ふなと云ふ感じでありましたので工事銘板を確認して見ました處、 昭和五八年五月竣功でありました。

 成程、道理で納得であります。
 橋の上から上流側を望む。

 奧の方、逆木用水が出來る以前の本流部分が親水公園に成つて居りまして、件の廢止堰跡や洞門等が御坐います。

現在では風見發電所から鬼怒川の下を通つて來た逆木用水が、西鬼怒川と根川用水とに分流致して居り、根川用水は西鬼怒川發電所に導水されて居ります。
 下流側。

 右手、堤防の樣な部分が其用水、"根川用水"であります。

 併し畑が在るのは良いのでありますが、左手、之も西鬼怒川で良いのかな、其處を越えてゐる部分、實際寫眞にも草生して見えてゐますが、 U字溝でも逆さにして置いてゐるのでせうか。

 流石に其も橋と數へたらアレなので無視する事に致しますが。
 何と無くでありますが、根川用水二本目の橋(名稱不明)側からパチリと致しました。
此方も多分、西鬼怒川橋と同時に架替られてゐるのでは無いかと推察致します。

 何と無く、用水と西鬼怒との位置關係が御分り戴けるだらうか。
 因に、其處から三百米程上流部に架る橋、多分之が根川用水としての橋として最上流部だと思ふのでありますが、其が斯う云ふ物件であります。

 航空冩眞で確認致しますと、昭和廿二年の物にも冩つて居りますので、若しかしますと戰前物件、 多分に此方根川用水完成時からの物件では無いのかなと推察致します。

 現在では色々と補強されてゐるのでは無いかな共思ふのでありますが、可也當時の面影を殘してゐる儘なのでは無いでせうか。

 因に、相變はらず幸運な事に、丁度此方で管理業務をされて居られる方に直接、色々と御話を伺ふ事が出來ました。
其節は有難う御坐いました。
 さうして、二本目依り下る事矢張三百米程、三本目に成りますと斯う云ふ具合に結構高低差が附樣に成りました。

 當然の如く此方も昭和廿二年の航空冩眞で確認出來ますので、用水竣功當時の儘の物件だらうと思はれます。

 何しろ、如何見ても人道橋としか考へられて居りませんから。
 何で田圃、畔の方迄田植ゑされてゐ無いのかと思ひましたが、其隙間程の幅を示す樣に宇都宮市の境界票が建つて居りました。
而も之、字體からして結構な年代物の樣な氣が致します。

 地區名の宮山田と云ふのも何かアレでありますので、發電の他水利關係で色々とアレなのでせうか。
 と云ふ事で遣つて來ましたが、矢張人や自轉車が通る程度の物件であります。

 併し手荒い水量が怖いであります。

 因に、先は見事に薮でありましたので、今囘は引返しました。
色々とアレで引返して正解だつたのでありますが、其は後程にでも。
 此水量の多さ、御分り戴けるだらうか。
下手氣に落ちたら、きつと其儘發電機に吸込れて左樣なら、かも知れ無いと思ひ、餘り渡り度く無いと云ふのが本音であります。
尤も、其隧道手前には塵避けの金網とか在つて大丈夫だらうとは思ひますが。

 其と、丁度東電で草刈作業中と云ふ事も有りましたので、此先の薮漕ぎは遠慮した次第であります。
まあ何と云ひますか、御互ひ微妙に微妙な間合だつたと云ひますか、何かね、ええ、實際。

 以上、御附合有難う御坐いました。


 【西鬼怒川橋梁群 其三】に續く。
 西鬼怒川橋梁群 其一は【此方】であります。

戻る