上河内村宮山田 廃止堰人道橋 【西鬼怒川橋梁群 其一】

2676年 3月 8日 探訪

 西鬼怒川には現在、舊河川部分も含め全部で廿五本程の橋が架つて居ります。

 まあ嚴密に云ひますと、何處迄の物が橋と云へるのかと云ふ物も在るのでありますが、多分其數で間違ひは無い筈であります。
さうして、四本を除き殘り全てはきちんと命名されてゐると云ふのも素敵であります。
一見、其多くが農用道橋かと思ふのでありますが、如何やら違ふのかも知れません。
でも、市町村道でありましたら何と粹な計なのでせう。
まあ、西鬼怒川自體元和六(一六二○)年に開鑿された人工河川、と云ふか水路でありますので、或る意味宇都宮藩に敬意を表しての命名なのでせうか。

 と云つても、件の五十里洪水でアレだつたり、色々と紆餘曲折を經てゐるのでありますが。

 して、此方は其元和六年から續いてゐた元々の流れの部分、逆木用水が出來る迄の本流部分に在つた堰が廢止された處に架けられた、公園内の遊歩道橋であります。
多分此方が公園として整備されたのは平成に入つてからの樣でありますが、其時に改て架橋し直された物の樣であります。

 因に、此上流側には取水口の逆木洞門が在るのでありますが、有名物件でありますので拙は割愛致します。
 では左岸側から見て行きますが、手荒く頑丈さうな舟形の堰であります。

 現役時代の昭和廿三年の航空冩眞を見ますと、丁度中央部分に足場が架けられてゐた樣でありますので、現在は倍の廣さに成つてゐると云ふ捉方で良いのかも知れません。

 其と、下流側は一段低く成つてゐると云ふのも特徴でせうか。

 但し之が何時の頃に完成してゐる物なのかは一寸分かりませんでした。
若しかしますと、下流側に西鬼怒川發電所が出來た昭和三年頃の物件なのでせうか。

 橋の話題とは全く關係無いかも知れませんが。
 板を入れる處が二重に成つてゐるのでありますね。
而も内側は鋼材が卷れてゐると云ふ念の入樣であります。

 して、手前の橋臺としてゐる部分に些か違和感を覺えたのでありますが、如何やら此冩眞で拙が立つてゐる部分も、元々は水が流れてゐた處の樣であります。

 まあ其邊の事も含て色々と改修されてゐるのでせうが、未整備だつた頃にちやんと見て措けば良かつたなと思つた次第であります。

 柵、何で歪んでゐるのでせうかね。
 勿論、相當に川牀は埋立られてゐると思はれます。

 多分、全體の高さの半分程度には成つてゐるのでは無いでせうか。

 嗚呼、因に、西鬼怒川の部分だけで五徑間の橋、と云ふ事で良いのでせうか。

 桁自體はT字桁でありました。
現代の物でせうから冩眞は撮りませんでしたが。
 桁を載せる爲とかで、色々と改修されてゐさうであります。

 唯、可也堰自體の状態は良ささうでありますので、川砂等、良い材料が使はれてゐるのだらうと推察致します。
 發電所への導水路、根川用水側には水門が在つたであらうと思はれる建物が殘つて居りました。

 何か一寸此邊の作りが些かアレなのでありますが、此堰の手前から根川用水側へ分岐して居ります。
 と思ひきや、其直後に復西鬼怒川の方へ戻す樣な構造に成つてゐたりでして、如何なのでせうか。
 して、現在の西鬼怒川とは、辛うじて側溝が流れ込む程度には接續されてゐるのでありますが、先づ基本的に其役目は終てゐるのだらうと思はれます。

 きつと夏場の觀光時期にだけでも親水公園として流す程度なのでせう。
多分。

 と云ふか、橋全く關係無かつたでありますね。

 以上、御附合有難う御坐いました。


 扨、では不取敢西鬼怒川の橋、全て廻つて見る事と致します。

 【上河内村宮山田 西鬼怒川橋他二件 【西鬼怒川橋梁群 其二】】に續く。

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