河内町白澤 新川橋

2673年 8月 20日 探訪

 用足しに向ふ途中、急用が出來たので慌てて自宅に戻る折、初めて通つた道で何氣無く横を向た時に偶々此方の物件を發見致しました。

 場所的には奧州道中の 【西鬼怒川橋】 の直ぐ東側邊りなのでありますが、今囘通つた道自體が廿世紀末頃出來た處でありましたので、まさか斯う云ふ物件が在るとは露も思つてゐ無かつたと云ふのが正直な處であります。

 實際には御覽の通り車輛通行禁止なのでありますが、其は道路の下に水道管が埋設して有る爲の樣であります。
と云ひますか、奧に見える水道施設からの導水管を通す爲だけの道路の樣でありまして、水道專用道路と書かれて居ります。

 まあ、或る種私道的な物なのでせうね。
管理が市と云ふ官吏なだけに市道の樣な氣がし無いでも無いでありますが、まあ良いや。

 では此方、左岸側から見て行きます。
 昭和四十六年二月。

 とまあ、然して古いと云ふ程でも無い竣功年でありますし、新しい共云へ無い頃合でありますが、其は扨措き、銘板が横に附いてゐるのが一風變はつてゐるなと思ひましたので、 今囘取上ようと思つた次第であります。

 何でせう、多分でありますが、今時の欄干の横の面に書いて在る銘板の走りと云ふか、過渡期の意匠なのでせうか。
多分さうとは違ふと思ひますが。
 高欄はアレでありますね、昭和卅年代末頃から四十年代頃迄は一般的だつた柵の樣な型でありますね。

又、親柱と一體としてゐる邊りも、傳統的な造りから脱却して行かうとする過渡期的な意匠なのでは無いでせうか。

 併し斜橋振りが手荒く凄いであります。

 其と路盤、何か鏝を使つて手作業で均した樣に見えるのは氣の所爲でせうか。
 宇都宮市。

 此を最初見た時には驚きました。

 場所的には河内町なのに何故と思つたのでありますが、出來た當初から水道施設は宇都宮市の物件の樣でありますし、其爲の道路でありますから、 まう當然と云へば當然なのかも知れません。

 尤も、現在では間違ひ無く宇都宮市で合つて居りますので、何等違和感は無いのでありますが。

 では右岸側へ移動致します。
 新川。

 うん、之つて丸で新に建造された用水だからと命名された樣な河川名でありますね。
明治時代の地圖にも載つてゐる川なのでありますが。

 唯、今では川と云ふ依りも堀と云ふ感じでありますが。

 シンボリ、以下省略。
 新川橋。

 今氣附たのでありますが、親柱、橋臺側に附てゐるのでは無いのでありますね。
 此處、元々は眼前の草地の方から川は流れて來てゐた樣であります。
云ふ成れば、右手の道に添ふ樣な感じでありましたのが、圃場整備か區畫整理で現在の姿に成つた樣であります。

 自然の儘でありますから自然と云ふのだらうと思ふのでありますが、まあ、ええ。
 横から見ますと、桁的には混凝土製でありました。

 多分單純桁と云ふかスラブ形式と云ふか、さう云つた類の橋だらうと思ひます。
 併し流石水道專用道路と云ひますか、隣の導水管が太いのに壓倒されました。

 管の上に附てますのは動物避けなのでせうが、直隣に橋が在る分、效果の程は如何なのでせうか、實際。

 嗚呼、でも其以上に人が渡つて壊さ無い樣にとの意味合なのでせうか。
 して、周圍の人孔を見た處、確に宇都宮市の市章が描かれてゐました。
「) (」の部分が餘計な氣が致しますが、まあ、之が此方建造當時の意匠なのでせうね。

 【此方】 の根川用水の橋近邊に在る境界票もさうてありますが、他市町村に別な行政區所有物件が在ると云ふ、而も橋と云ふのが驚きの物件でありました。

 以上、御附合有難う御坐いました。

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