2678年 7月 31日 探訪
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此方は
【今市市山久保 落合橋】
依り一キロ半程栃木縣道一五〇號線を西進した處、栃木縣道十四號線との交叉點の近くの矢紋澤に架る橋であります。 最初は地圖に載つてゐ無い樣な橋でありましたので、現地に着く迄取材の對象外でありましたが、ぱつと見に此姿でありますので間違無く古物件と思ひ、 如何にか駐車場所を見附て撮影したと云ふ感じであります。 と云ふ事で、此方左岸側から見て行き度いと思ひます。 |
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昭和十年十一月竣功。 ほらあ、見事な古物件でありますよ。 見てゐて嬉しく成つて來て仕舞ます。 惜しむらくは親柱上部が壞れてゐるのが殘念でありますが、其でも斯う云ふ型の銘板が文字共に綺麗に殘つてゐる事に感激であります。 だつて、一世紀近く前の物でありますもの。 |
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して、或る意味親柱上部が壞れてゐた爲に斯う云ふ銘板の材質が何なのか判明する切掛に成つたのでありますが、如何やら瀬戸物と云ひますか、陶磁器製の樣であります。 御蔭樣で一つ賢く成れました。 |
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矢紋澤橋。 今時の地圖では名稱不明河川に成つて居りますが、矢紋澤、若くは矢紋澤川と云ふ事でせうし、其處から橋名が附られた事は明白でありますね。 |
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高欄は混凝土板に楕圓の穴が開いた意匠であります。 と云ふ事は、 【今市市平ケ嵜-千本木 白崖橋】 にも共通する意匠でありますので、彼方も同年代頃の竣功と見て間違無いと思はれます。 凄いでありますよね、一つの路線にほぼ連續して戰前物件が二本つて。 では右岸側へ移動致します。 |
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昭和十年十一月竣功。 何と、嬉しい竣功年度銘板が兩岸に附て居りました。 併し斯うして見ますと、洗出仕上の表面つて結構厚目に附られてゐるのでありますね。 さう云へば白崖橋も右岸側は洗出仕上でありましたので、左岸側は後年、多分戰後に架橋されたと見て良いのだらうと思はれます。 |
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やもんさはゝし。 嗚呼、良いでありますね、同一の平假名が繰返し遣はれる時に「ゝ」を書きますのは。 如何にも戰前と云ふ感じで嬉しく成ります。 |
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而も其「ゝ」が良く見ますと變字體と云ひますか、一寸判讀不能な感じに書いて有りますのが又素敵であります。 |
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横から見ました處、一寸冩眞では見辛いでありますが、混凝土T字桁でありました。 併し此方、戰前物件とは云へ結構良い状態に思へるのでありますが、其も多分交通量と徑間の長さに因る物なのでせうか。 まあ斯う云ふ具合に當然に使はれてゐる戰前物件つて素晴しいと思ふのでありますが、何時迄此儘現存するか分りませんので、現時點で冩眞に收める事が出來て大滿足でありました。 以上、御附合有難う御坐いました。 |