芳賀町與能 名稱不明橋

2675年 6月 2日 探訪

 【芳賀町西水沼 開運橋】 から約一キロ程、國道一二三號を東進した處の小川に架る橋であります。

 丁度元來の水戸北街道の道筋と、現道とが合流してゐた邊の直傍なのでありますが、航空冩眞で確認致しますと、昭和卅九年に成つて初て確認出來ますので、 多分に 【大橋】 と同時期頃の物件では無いでせうか。

 では此方、右岸側から見て行きます。
 まあ御覽の通り無記名でありますし、歩道部分も後年に成つて附足されて居ります。

 高欄は鐵管を一本だけ使用した意匠でありますね。

 之だけの規模でありますのに、親柱と別體に成つてゐるのは意外でありましたが。

 では、左岸側へ移動致します。
 殘念乍此方も無記名でありました。

 さう、親柱、橋臺側では無く桁の方に附てゐる型でありますね。
 うゝむ、横から見ますと之、桁はスラブ形式でせうか。

 通つてゐる水路が二本だつたと云ふのが意外でありました。
是も給水と排水とで分れてゐると云ふ事でありますかね。
 後日、と云ひますか、水が捌けたであらう農閑期に遣つて來まして、下から覗いて見ました。

 成程、矢張スラブ形式でありましたね。

 何か下段の水路が少し改修されて居りましたが、之、狹く成つてゐるのでは無いでせうか。
良いのかな。

 まあ、別段アレでせうか、ぱつと見に氣に成つて仕舞つた物でありますから、きちんと取上て見ました。

 以上、御附合有難う御坐いました。

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