芳賀町與能-下延生 五行橋

2677年 11月 14日 探訪

 此方は 【芳賀町上延生-祖母井 五行橋】 依り二キロ程下、 【芳賀町與能-東高橋 五行橋】 依り一キロ程上の五行川に架る栃木縣道一六五號線の橋であります。

 まあ此二本共今迄遣殘してゐたのでアレでありますが、此方は更に遣殘してゐた譯であります。
其は何故かと云ひますと、御覽の通りの新しい意匠でありましたから、てつきり架買に成つてゐたと思つてゐたのであります。
でありますが、歩道側に在る親柱が例のアレ、逆傾斜意匠でありましたので、之は其也の年代の物件に違ひ無いと氣附まして、今囘の探訪と相成つた譯でああります。

 と云ふ事で此方右岸、與能側から見て行き度いと思ひます。
 五行橋。

 良いでありますね、安定の不安定に見える逆傾斜であります。呵呵
 ごぎようはし。

 正直、今時の濁りの無い讀み表記つて本當にさうなのか信用出來ません。
何か變な放送局の影響受けてゐるだけでは無いかと思ふのであります。

 濁りは立派な日本語文化だと思ひますので。
 ごぎようかわ。

 はい、さうでありますか。

 皆昔から「ごぎようがは」としか發音して居りませんでしたがね。

 濁ら無い方が綺麗な發音でありますものね。
 高欄は後年に成り改修された物でありますのでアレでありますが、横から見ました處、此方は鈑橋でありました。

 橋脚は後年に成り、多分耐震補強が施されてゐる樣であります。
 昭和四一年十月竣功でありますね。
 下から見ました處であります。

 擴幅された歩道側の橋脚、上記の町道の物とは違ひ、綺麗に出來てゐると思ひます。
 歩道側は昭和四六年十月完成でありますか。

 と云ふ事は、彼の親柱も此年に作つたと云ふ事でありますから、逆傾斜親柱としましては、結構晩年の物なのでは無いでせうか。

 其では左岸側へ移動致します。
 して、目の前の上流側には謎の混凝土構造物の跡が御坐いました。

 うゝむ、之は河川改修以前の舊橋の何かの殘骸でせうか。
 因に、改修されたのが平成二年であります。
 其と忘れて居りました、排水桝であります。
 五行橋に五行川。

 斯う云ふバブル期物、假令歴史的年代に成つたとしても、多分懐かしんだり萌る事は無い樣な氣が致します。

 だつて、何かちやらいのでありますよね。
 五行川。

 まあ今囘の物件もぱつと見で騙されてはいけないと云ふ教訓に成りました。

 では斯樣に改修された物件の何處を見て歴史的な物件と判斷するのかと云ひますと、緩衝裝置にも舖裝が盛られてゐる、川幅に對して徑間が短い、 後から歩道の橋が附足されてゐる等が簡單に見分るコツでせうか。

 と云ふ感じで、良い勉強させて戴きました。

 以上、御附合有難う御坐いました。

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