馬頭町大山田上郷 駒入橋

2677年 2月 21日 探訪

 此方は 【馬頭町大山田上郷 舊西川橋跡】 の五百米程手前、仲山川に架る國道四六一號の橋であります。

 最初に探訪した時、何と無く橋の樣な氣がし無いでも無いと云ふ感じでありましたが、さうでも無ささうな感じでもありましたので、 多分暗渠なのだらうと思ひアレだつたのでありますが、 【黒羽町南方 六月橋】 が戰前、昭和五年の物件でありましたので、若かすると若かすると思ひ、擴幅工事が始まつた今の内に見て措かうと思ひ、今囘の探索と相成ました。

 と云ふ事で此方、左岸側から見て行きます。
 ガアドレイルは間違無く後年に成つてからの施工でありますね。
而も形から古二代目でありますので、大凡昭和四六、七年頃に取附られたのでは無いでせうか。

 石、と云ひますか混凝土の駒止、で良いのかな、が元からの物だと思ふのでありますが、上記の六月橋には附てゐ無かつた事を考へますと、 此方の方が川牀迄の高さが高いと云ふ事なのでせうか。
 工事の御蔭で斯樣な位置から見る事が出來ました。

 嗚呼成程、之は結構な高さが御坐いますね。

 併し、舖裝が載る前は駒止が附てゐる部分が路盤の高さだつたのでは無いかと思ふのでありますが、之だけで大丈夫だつたのでありますかね。

 まあ尤も、當時でありましたら落ちる方が惡いのでアレでありますがね。
 をゝ、矢張立派な隧道に成つて居ります。

 と云ふ事は、此方も矢張戰前物件、昭和初期物件と云ふ事で良いのでありますかね。
 此方は上流部の眺めであります。

 大した事無い高さに見えますが、之で大凡五米程度は確實に有るのでは無いでせうか。

 扨、竣功年度でありますが、日本建設新聞社の日刊建設新聞の記事で見ました處、昭和初期と云ふ事しか分りませんでした。
と云ふ事で、まあ多分六月橋と同程度と見て良いのでは無いでせうか。

 因に、駒入橋と云ふ橋名も同新聞の記事で知りました。

 斯う云ふ何氣無い所の何氣無い物が實は歴史的物件だつたと云ふのは面白いでありますね。
出來る限り長く殘つてゐて欲しいと思ふ物件でありました。

 以上、御附合有難う御坐いました。

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