2682年 8月 30日 探訪
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此方は
【日光市細尾町 古澤橋】
依り五キロ程國道一二々號舊道を足尾町方面に進んだ所、峠澤に架る橋であります。 ぱつと見、古澤橋同樣の雰圍氣が感じられますので此方も戰前物件かと思はれますが、其實如何でせうか。 と云ふ事で此方、右岸側から見て行き度いと思ひます。 |
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昭和期では一般的な親柱であります。 して、銘板が隱れる程に路盤が盛られて居ります。 |
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殘念乍"峠"の下の文字が錆落て判讀不能に成つて居ります。 多分此方は河川名で"峠澤"だつたのでは無いでせうか。 |
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此方は何か嫌な豫感しかし無い痛み具合であります。 |
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はい、判讀不能でありました。 何、左岸側に期待致しませう。 |
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高欄は四角く穴の開いた意匠で、
【鹽原町中鹽原 名稱不明橋】
の樣な、如何にも戰前物件と云ふ姿であります。 では左岸側へ移動致します。 |
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親柱の状態は良いのでありますが、之はアレでありますね。 |
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殘念乍銘板は消失して居りました。 多分此方は右岸側同樣河川名で"峠澤"だつた事でせう。 |
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嗚呼、手荒く殘念であります。 |
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何故左岸側だけ銘板が消失してゐるのでせう。 |
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横から見ました處、此方も混凝土T字桁でありました。 して、日光市橋梁點檢結果をじつくりと確認致しました處、やつとの事で橋名が"峠澤橋"と分り、竣功年も昭和八年と判明致しました。 矢張戰前物件、而も昭和一桁と分り、感激も一入でありました。 斯う云ふ物件が今でも見られる舊道に手荒く滿足でありました。 以上、御附合有難う御坐いました。 |