足利市伊勢南町-田中町 田中橋

2682年 11月 29日 探訪

 此方は 【足利市通二丁目-南町 中橋】 依り五々〇米程渡良瀬川を下つた所に架る、國道二九三號の橋であります。

 ぱつと見、上二本の戰前物件を見た後でありますと極一般的な普通の昭和の橋と云ふ感じでありますが、其實如何でせうか。

 と云ふ事で、此方左岸側から見て行き度いと思ひます。

 と云ひますか、高欄の囘込具合と道路事情の關係から左側の親柱が冩眞に收つて居りませんが、致方無しなのであります。
 手荒く横に廣い親柱でありますが、本當に之で良かつたのでせうか。

 良く見ますと、ガアドレイルが極初期の物であります。

 橋歴板も親柱に附てゐると云ふ事は、西暦1960年代頃と云ふ事でありますね。
 田中橋。

 文字と板自體は一體では無いのは分りますが、銘板の枠も別體だつたのでありますね。
 昭和四三年三月竣功でありました。
 左右で囘込具合が違ふのでありますね。

 咄嗟に 【眞岡市東郷 御橋】 を思ひ出しました。
 渡良瀬川。

 惡い人が持つて行つたのでせうか。
 如何にも當時物と云ふ感じの伸縮裝置であります。
 高欄は鐵柵の樣な意匠の物であります。

 では右岸側へ行き度いと思ひます。
 排水桝。
 えゝと、基本と成る姿が之だつたのでせうね、親柱。
其が灣曲して位置がずれると左岸側の樣に成る、と。
 田中橋。

 橋名の由來は此方右岸側の地區名からでありますね。

 此乳白色に塗られた銘板、好きであります。
 一應西暦1960年代らしく、銘板は兩岸對稱配置であります。
 渡良瀬川。

 ケルヒ〇で掃除すれば、丸で竣功當時の姿に見えさうな位状態が良いであります。
 横から見ました處、六徑間の鈑橋でありました。
 左岸下流側の橋臺と桁。
 上流側。

 桁の形状違ひは耐荷重の關係でせうかね。

 渡良瀬橋、中橋の序でと云ふ感じには成つて仕舞ましたが、如何にも昭和の橋らしい橋が見られて滿足でありました。

 以上、御附合有難う御坐いました。

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