2682年 11月 29日 探訪
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此方は
【足利市通四丁目-田中町 渡良瀬橋】
依り四五〇米程渡良瀬川を下つた所に架る、栃木縣道卅八號線の橋であります。 ぱつと見、渡瀬橋依り此方の方が立派且古風に見えますが、其實如何でせうか。 と云ひますか、御覽の樣に見事堤防依りも低い橋と成つて居りまして、水害の懸念や經年劣化、朝夕の澁滯等々の理由から架替と相成ましたので、 通行止に成る直前に、何とか時間を作つて訪問することが出來たと云ふ次第であります。 と云ふ事で、現役戰前物件の姿を此方左岸側から見て行き度いと思ひます。 |
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まあ、丁度良い具合に正面から冩せ無かつたので、右寄側からの冩眞も載せて置きます。 此で左側の親柱も冩つてゐれば此冩眞だけを使つたのでありますが、人も車も多くて焦乍撮つたので、見事失敗してゐたと云ふ譯であります。 |
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手荒く立派な親柱と街燈でありますが、何と此方、何方も竣功當時からの姿の儘の樣であります。 |
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中橋。 唯、銘板の附方が現代の流儀に成つてゐると思ひましたので、銘板は交換されてゐる樣な氣がし無いでも無いであります。 其と、橋名の由來も不明であります。 |
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横から見た姿。 親柱基礎、地覆も當時の儘の樣であります。 |
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流石に點燈裝置等は變更されてゐるでせうが、良くまあ殘つてゐるなと感心致します。 |
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勿論此方側も良い状態の儘に、であります。 |
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渡良瀬川。 |
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高欄も上部は附足されて居りますが、基本的に當時物の儘の樣であります。 高欄の柱、鑄物でありますね。 では右岸側に向つて進み度いと思ひます。 |
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扠、肝心の鋼下路ブレエスドリブタイドアヽチ、昔乍に記しますと鋼繋構拱橋部分であります。 有效幅員十一米を支へるだけあつて立派な構造であります。 拱橋に成る部分からの兩側にも、親柱と同樣の街燈が附て居ります。 して、橋歴板が左側に附て居りますね。 |
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昭和十年に、渡瀬橋同樣此方も櫻田機械製造所に依つて作られた樣であります。 但し此方は"建造"では無く"建作"と表記されてゐるのが興味深いであります。 |
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格點部。 鋲の數が凄いであります。 さう、ピン結合でも無いのに丸い突起は何だらうと思つたのでありますが、如何やら照明の樣であります。 照明と云へば、竣功當時に附てゐた拱橋中央部の吊材に附てゐた親柱と同樣の物は撤去され、戰後的な物に交換されて居りました。 |
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格點部其二。 橋門構や吊材、斜材等。 |
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支材や上横構等。 |
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下弦材との結合部は歩道部分の下の樣であります。 排水桝はグレエチングに成つて居りました。 |
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併し、良くまあ斯樣な大型構造物がぴたりと寸法通りに結合される物だなと、工作精度の高さに驚かされます。 |
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所々鋲の間隔が廣い部分が御坐いますが、良く見ますと螺旋留に成つて居りますので、之は後年に成つての補強若くは安全對策で追加された部分では無いでせうか。 |
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改修されてゐるであらう伸縮裝置。 |
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戰後の何時頃かは分りませんが、追加された街燈と、拱橋部分に附てゐる元からの街燈。 平日晝間で此交通量であります。 |
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右岸側にも橋歴板が附て居り、其下には塗裝記録表も附て居りました。 本當は高欄にも附てゐたのでありますが、今更でありますが冩眞點數が多く成過ぎるので割愛致しました。呵呵 |
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架替に伴ひ、此立派な親柱の扱ひが氣に成る處であります。 |
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なかはし。 うむ、銘板は矢張變更されてゐると見て良さゝうであります。 |
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此方の堤防の橋には玉石積が見られます。 では何時頃堤防整備が初められたのかでありますが、航空冩眞を參考に致しますと、昭和廿三年には左岸下流側が可也荒れてゐるのが見て取れまして、 之は多分昭和廿二年のカスリイン臺風の被害でせうから、其から始つたと見るべきでせう。 事實、昭和卅三年の航空冩眞では左岸側は完成してゐる樣に見えますし、右岸下流側も其時には完成してゐる樣に見受られました。 でありますので、此石積は其當時の物では無いかと推察致します。 因に、右岸上流側はもつと後、昭和五五年以降六一年迄の樣に航空冩眞では感じました。 |
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昭和十一年七月竣功。 まさかとは思ひますが、物資供出で元の銘板は持つて行かれたとかでは無いでありますよね。 |
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横から見た姿であります。 もう兩岸のRCT桁、當時的表記で混凝土丁桁部分が結構堤防に飮込れて居りますのでアレでありますが、丁桁が全九桁、 拱橋部分が三桁の合計十二徑間の鋼繋構拱橋及混凝土丁桁橋であります。 |
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して、如何云ふ理由でか、右岸側の一徑間は塞がれて居りました。 橋臺、見たかつたのでありますが、殘念であります。 |
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梁部は大型化され補強されて居りますが、之が混凝土丁桁部分の橋脚であります。 其丁桁のストラツトが素敵であります。 |
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して、此方が丁桁と拱橋が載る橋脚であります。 丁桁の支承が附部分、元は橋脚の梁部に主桁の部分だけ嵩上した樣な姿に成り支承が載つてゐた樣でありますが、現在では混凝土で一體の姿に成つて居ります。 竣功當時の冩眞を畫像檢索で見ましたが、すかすかに成つて居り、是で地震とか大丈夫なのかと心配に成る姿でありました。呵呵 其とも一つ、梁部の統一感を持たせて補強されて居りますね。 |
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全てが美しく配置されて居ります。 |
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如何せでありますから支承や格點部、牀版等を冩して見ました。 |
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之は最早藝術品かと。 |
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同上。 |
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不取敢左岸側へ戻つて來ましたが、矢張御覽の有樣であります。 併しまあ、良く牀版した迄綺麗に玉石を積んだ物であります。 |
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して、此が左岸側の丁桁と拱橋が載る橋脚なのでありますが、先づ丁桁側が鋼材に成つてゐるのに驚きました。 最初は當時からの姿なのかと思つたのでありますが、鋲が使はれてゐ無いので、之は後年に成り交換された物かと思はれます。 其と、左右を繋ぐ部分、之も當時の姿かと最初は思ひましたが、鋼板で補強されてゐると見た方が間違無さゝうであります。 丁桁、最初は戰前物なので無いと思つてゐたのでありますが、ちやんと横桁が入つてゐたので流石だなと思ひました。 |
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I鋼と云ふかH鋼と云ひますか、如何見ても現代の物でありますね。 不取敢混凝土部分だけでも當時の姿が樂しめました。 |
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右岸では横桁が見辛かつたので、此方左岸側で冩しました。 戰前の立派な橋且つ或る意味足利市の象徴的存在の橋だつたでせうから、架替には色々とアレだつたのでは無いかと思はれます。 でもまあ、洪水對策と云ふのも有るでせうが、百年近く前の橋の維持管理も可也アレだつたのでは無いでせうか。 さう考へますと致方無い部分は有ると思ひます。 何時か、誰かゞ、と云ふ決定は必づ何處かで起きる物でありますし、其が今だつたと云ふだけでせうから。 と、無責任に書きますが。 まあ、個人的には現役時代の冩眞を撮れて手荒く滿足でありました。 以上、御附合有難う御坐いました。 |