氏家町上阿久津-馬場 國道四號舊道(陸羽街道) 【其一】

2673年 8月 20日 探訪

 【現在地】

 現在の國道四號上阿久津バイパスが出來てから早十年は經つたでせうか。
やつと元の道の交通量が昭和五十年代程度に戻つたなと思つたのも束の間、今度は舊道とバイパスの狹間に宅地開發の波が襲ひ、最早昔乍の風景を樂しめる場所も少く成つて來ました。
其に、矢板市でも縣道卅號線と化した國道四號線舊道のバイパス工事が進んで居りますので、だつたら今の内に見慣た風景を寫眞に收めて置くかと思ひ、 今囘氏家側と矢板側の舊道を自轉車で走つて見ました。
之は其時の記録であります。

 扨、一寸案内板に離れて居りますが、左に折るのが舊四號であります。
元々は眞直ぐだつたのでありますが、其面影は少いであります。

 併し歩道側、角張る樣に區畫されて居りますが、若しかしますと四號線以前の境界に則つて整備されたと云ふ事でせうか。
 此方の部分も如何云ふ境界に成つてゐるのか、さうして、元々如何云ふ形状に成つてゐたのか、結構通り慣れてゐた筈でありますのにねもう既に記憶に御坐いません。

 其だけ舊道の痕跡はもう無いと云ふ事でありますね。
 此處に立つて、初めて舊道の姿を確認する事が出來ます。

 併し、國道四號が凄いなと思ひますのは、戰後のGHQの航空寫眞では既に立派な幅員が確保されてゐるのが確認出來ると云ふ事であります。

 尤も明治四二年の地圖では既に現在の線形で描かれて居りますので、早くから奧州道中からの改修を進められてゐたと云ふ事でありますね。
其がバイパスが出來る迄の間、廿世紀中はしつかりと交通を支へてゐた譯でありますから、如何に當時の設計、施工に先見性が有つたのかと云ふ事の表れでせうか。
 と云ふ事で、愈々舊道の風景巡りであります。

 多分、當初から此幅員だつたと思はれるのでありますが、所謂七間道路と云ふのでせうか。
尤も、軍事目的優先でしたでせうから此幅員なのでせうが、其が廿一世紀に入る頃迄通用してゐたのでありますから恐れ入ります。

 因に、昭和卅年代後半(昭和四十年前後頃でせうか)、氏家町草川に新造された道路が幅員が十六米も有る事から、未だに「十六米道路」の愛稱で呼ばれて居ります。
 此方、上阿久津交叉點で奧州道中が左手から合流して來ます。

 元々此交叉點に左折車線は無く、幅員も斯う云ふ具合に成つてはゐ無かつた樣でありますが、如何やら昭和四十年代に斯樣に改修されて樣であります。

 併し此處、夜間は皆さんアレな速度で走つて居りましたし、點滅信號だつた上に横から出て來るのもアレでありましたから、魔の交差點だつたのは云はずもがな、でありますね。
 今は交通量が減つたので助かりますが(其でも卅年前依り多いかも知れ無いと思ひます)、現役國道當時は此處を氏家側から來て右折するのは恐怖でありました。
車は途切無いでありますし、而も貴樣等其捕まつたら赤切符だらうと云ふ速度で流れて居りましたから。

 まあ、今は宇都宮方面から來る自動車が手荒く少く成つた分、十分に走り易く成つたと思ひます。

 因に、眞正面の縁石に矢印の反射板が附てゐる理由は御察し下さい。
 もう之は縁石と云ふ依り車止と云ひますか、半ば安全地帶の混凝土の樣であります。
其でもアレで、一體何臺の自動車が解體屋送りに成つた事でせうか。
 此方は自然な折具合の曲り角を拔けた後なのでありますが、目前に見える勝山の臺に登る爲の適正な角度を保つ爲の曲りだつたと云ふ處でせうか。

 其共、各々の曲りは防犯上等の目的も有つての事なのでありますかね。

 因に、此方上阿久津の宿なのでありますが、宿場だつた頃の面影は餘り見られ無いのが殘念でありますが、時代の流れなので仕方が無い處でありますね。

 して、歩道橋の邊が宿場の北端であります。

 其と、此近邊に浮島地藏尊や船玉神社と云ふ名前が在る事から、以前からの渡河地點であつた事が分ります。

 關係無い話でありますが、以前歩道橋の邊りでプロペラシヤフトの繼手が外れて大變な事に成つてゐた大型貨物車を見た事が有るのでありますが、 此件でFR車つて一寸怖いなと思ふ樣に成りました。
 此混凝土塊團の土留め工も結構な年代物なのでせうね。

 つい數年前迄上側は森でありまして、其處に植ゑられてゐた栗の木から歩道に澤山實が落ちてゐたのでありますが、今年は目切少く成つて居りました。
と云ひますか、氣附ば宅地造成が始まつて居りますし。

 登り切つた處が交叉點なのでありますが、此處も嘗ての面影はほぼ皆無に成つて仕舞ひました。
ドライブインがコンビニに成り、道路も擴幅される等々、新興住宅地を軸に榮へ始まつたのでありますが、 其矢先にガソリンスタンドが移轉して仕舞つたのは、逆に不便に成つて仕舞つた事だらうなあと思ふ次第であります。
 と云ふ事で、コンビニの前からの風景であります。
ガソリンスタンドの看板が無く成つてゐると寂しい風景に成つて仕舞ひます。

 因に、此寫眞の二週間後に復通つたのでありますが、建物は取壞され、地下タンクも撤去されてゐましたので、今ではずつかり更地に成つてゐる筈であります。

 さう云へば、其先のビフテキ屋さんも無く成つて居りました。
 勝山の台は登つた後にも緩く登りが続いた儘でありまして、頂点は彼の歩道橋が在る辺であります。

 さうして、奥州道中とは一旦別れるのであります。


 【其二】に續く。

戻る