氏家町氏家-向河原 小倉街道

2673年 7月 1日 探訪

 【現在地】

 小倉(コグラ)街道は、氏家地内の國道二九三號の前身に當る道であります。
起點が何處に成るのかは調べて居りませんが、多分琴平通りからの分岐だらうと推察は致して居ります。
唯、今囘は其處から辿るのでは無く、道筋が變更に成つてゐる國鐵附近の此位置からにして措かうと思つて居ります。

 扨、何故今囘小倉街道を辿らうと思つたかでありますが、氣附けば色々と開發が進んで來ましたので、 其に因り完全に原型が失はれる前に寫眞に收めて措かうかなと思つたからであります。

 と云ふ事で、鬼怒川の渡河地點目指して進んで行き度いと思ふのでありますが、此處の不自然な折具合、鐡道が開通した折に踏切を作る關係で直されたのだと思ひます。

 多分元々は、先に見えるボツクスカルバアト目掛て眞直ぐ進んでゐたのだらうと思はれます。
 拙は意地でも元の線形通りに進んで遣る!とは當然云へ無いので、素直に常識的に踏切を渡ります。

 因に、良く氏家の街は道が分り辛い、丸で迷路の樣だと良く云はれるのでありますが、國道二九三號を東進して其儘此踏切迄來ますと、其地獄の迷路の始まりの樣であります。
櫻野地内に二九三號バイパスが出來る迄は特にさうだつたでせうか。

 何しろ、二九三號自體が變に途切れてゐる樣な状態でありますし、中央線の無い街中の道には親切な案内板等御坐いません。
其上、微妙に道が折れてゐますので、簡單に方向音痴に陷り易いと云ふ譯であります。

 まあ多分、此處を擴幅して國道指定に出來れば良かつたのでせうが、街内でありますから無理だつたのだらうと思はれます。
其と、四號バイパスを活用する方向にし度かつたと云ふのも有るのでせうかね。

 嗚呼、踏切を渡つて直ぐ右折が小倉街道であります。
 何かもう、昔の面影はほぼ無いであります。
曾てはも少し狹くて微妙な折れ具合が素敵だつたのでありますがね、右手の側溝に見られる樣に。

 と云ふか、此所も通學路指定で時間帶通行規制掛かつてゐるのでありますね。

 但し、今は文盲が免許を取得してゐる時代でありますから、斯う云ふ補助標識を讀め無い處か、信號の色しか見てゐ無い連中許で困つたものであります。

 と云ふか多分、實は人間の能力つて複數同時發動が出來無いのでは無いでせうか。
 元々は左手に家が一軒だけ在つただけでありますのに。

 まあ隨分と路肩も舖裝も綺麗に成りました。
 此處、兩側の側溝が無ければ曾ての面影が一番殘つてゐる處だらうと思ひます。
2673年の時點では。

 併しまあ、色々な都合で折て進んで行くのが舊街道の證でありますね。
 小規模な用水を渡り、奧側の分岐を右に進みます。
 何かすつかり住宅街の道でありますが、元々は勿論田園地帶であります。
 而も交通量が激増して居りますし。
 此な處で冩眞何か撮つてゐたら、不審者扱ひされて仕舞ひさうであります。
 ずうつと田圃でありましたのに。
 【現在地】

 をゝ、此處は昔の面影が殘つて居りますかね。

 と云つても道路的にでありまして、幅員とか舖裝の感じが、でありますが。
 國道二九三號を横斷致します。

 曾ては眞直ぐ分岐してゐたのでありますが、今時の樣に直角で國道に面する樣に成つて仕舞ひました。

 まあ、左右確認するには其方が安全性が高まるでせうから、良い事なのだと思ひます。
 此邊りも景色が明るく成つてゐます。

 以前は欝蒼とした森だつたと記憶してゐるのでありますが。
 やすらぎ橋で草川用水を渡河致します。

 勿論、架替られてからさう云ふ名前に成つたのだと思はれます。
 先程のやすらぎ橋手前もさうなのでありますが、此處の舊街道とは思へ無い直線具合は、如何やら戰後に改修された處の樣であります。
 通稱一六米道路を横斷致します。
 此方側もすつかり住宅街であります。

 寫眞を視る人には數枚前からアレでせうかね。
曾てのアレのアレだらうと思ひます。
 嘗ては此邊りから砂利道でありました。

 勿論、當時は何も無かつたのでありました。
 やつと當時の雰圍氣が味はえる感じに成りました。

 昔からの佇まひの家と、其敷地の大木は、嘗ての人の流れを知つてゐる事でせう。
 扨、此處で一先づ氏家側は終點であります。
曾ては此處から河川敷に下り、舟や假橋で上河内側に渡つて居りました。

 今では國道二九三號と云ふ立派な道が出來、 【氏家大橋】 と云ふ立派な橋も架けられましたので其方に主役を讓り、此方は一線を引いた形と成りました。

 唯今囘、此方を辿つて見る事で、何氣無く通つてゐた道が實は昔からの街道筋だつたと氣附まして、成程なと地域の歴史を再認識致した次第であります。

 以上、御附合有難う御坐いました。

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