鹽谷町鳥羽新田 栃木縣道六三號線舊、舊々道跡

2676年 1月 3日 探訪

 【現在地】

 此方は 【矢板市長井-藤原町藤原 栃木縣道六三號線舊道 【其一】】 の二キロ程手前、 【2672年 11月 5日 御負ケ】 の一番目の冩眞、道路元標と道標が在る栃木縣道二七三號線との交叉點、上寺島分岐點から約二キロ半程、栃木縣道六三號線を北上した處であります。

 上記の部分を見に行く前、古い航空冩眞を見てゐて此方の部分も確認して居り、歸宅途中に此方も遣つてゐたのでありますが、 其前後を後から遣つた時にでも一緒に書かうと思ひつゝ早三年、一向に進ま無いので先づは此方だけを書いて仕舞は無いと忘れて仕舞、事實忘れてゐたのでありますが、 さう思ひまして今囘書く事にし度次第であります。

 扨、斯うして見ますと右側、嵩上された部分と先、路肩部分の地形が違ひますし、左側もカアブ内側は土地が低く成つてゐる事が御分り戴けると思ひます。
其邊が舊線形の名殘かと思ひますので見て行きませう。
 少し進みまして、此邊から杉林が少し道路から離れて行きますので、多分此邊から外側に行くのが舊線形だと思はれます。

 と云ふ事で、此邊で路外に出て見ませう。
 はい、平場が御坐いますね。呵呵

 やつと廢道歩きつぽく成つて來ました。

 目前、冩眞の下の方に赤い頭の境界標が在るのが御分り戴けるでせうか。
 栃木縣。

 えゝ、良いでありますね、紛ふ事無き戰前物でありますよ。

 はい、もう之だけで手荒く嬉しく成りました。
 今度は右手の木の袂に境界標が御坐います。

 現道との高低差も然事乍、少しずつ離れて行くのが如何にもであります。
 境界標を頼りに進みますと、今度は結構な平場に出ます。

 此處が曲線に成る部分でありますね。
 唯、元々道路だつたと云ふ感じはほぼ皆無かと。
 曲線のほゞ頂點部分であります。

 杉を植林することに依つて自然に戻すのでせうが、如何せでありましたら自然の儘に雜木林にして欲しい物であります。

 其が本當の自然だと思ふのでありますが。
 扨、現道に戻りませう。
 と云ふか此處、自動車が入つて來た轍が殘つて居りますね。
若かして林業關係の自動車でせうか。

 して、現道に戻る手前、右に向つて進む道の樣な處が御坐いますが、此方が元からの道筋であります。
 もうほゞ林道でありますし、ほゞ此方も廢道でありますね。
 うむ、最早ジムニ〇の爲の道と云ふ感じであります。

 と云ひますか、後年は乙字で勾配を緩和してゐる處を直登してゐたのかと云ふ感じであります。
 舊々道の入口から舊道部分を振返つて見てみました。

 此方から見た方が線形が分り易いでありますね。
 合流致します。

 電信柱の位置が舊線形でありますね。
 【現在地】

 扨、では後半でありますがさくさくと行きませう。
 入口から直の部分には舖裝が見られますが、之は多分現在の線形が出來た當初に舖裝されたのでせう。

 現に今の舖裝とは段差に成つて居りますから。

 電信柱が續いてゐると云ふ事が元からの道筋の證でありますね。

 では何故本來の道筋では無く此方なのか。
其は多分、電氣が開通し度のが此方の道が出來てからなのでは無いかと推察したらであります。
 林業の仕事で此方に車兩を入れる爲でせうか、木で掘れた路面を補修して居ります。

 と云ひますか、最早林道であります。
 嗚呼、素敵な風景。

 左手奧に行く林道と分岐してゐる樣であります。
 路面は荒れて居りますので、最早四驅專用道路的な状態であります。
 荒れた部分を過ました處、完全に廢道の樣な状態に成りました。
 直線に成り現道と合流、と思つたのでありますが、何か樣子が變であります。
 あれ、結構な高低差が御坐いまして、道は分斷されてゐる樣であります。
 二米程は高低差が有るでせうか、結構な高さであります。

 多分、右手の高さの部分が元の路面の高さなのでせう。

 現道は一定の勾配に成る樣に整備されてゐるのでせうが、此方舊線形側は何方かと云ひますと自然の地形に餘逆は無い樣、且つ勾配を緩和する樣に作られてゐるのでせう。
 【現在地】

 扨、舊々線形の合流點に來て見ましたが、御覽の通り此方も寸斷されて居りました。

 と云ひますか、最早道では無く單に窪地と云ふか澤の樣であります。
 して、前篇の現道の曲線部分内側には、斯樣に"栃木縣"の境界標が三、四本程建つて居りまして、元々の道形は此處を進んでゐたと云ふのが分ります。
 さう、GSI-國土地理院の航空冩眞を引用致しますが、此方が昭和廿二年の状態であります。

 線形の違ひも然事乍、道の太さも全然違ひます。

 多分でありますが、昭和十五年の紀元節前後頃に斯樣な線形、自動車の往來と直線的に登る勾配の緩和の爲に斯う改修し度のでは無いでせうか。

 昭和四年頃の古地圖では元からの線形の儘の表記でありますし。
 さうして、昭和五十年の航空冩眞が此方であります。

 依り一層の線形の改修と擴幅が行はれたと云ふのが御分り戴けると思ひます。

 此方は昭和四六年以降に行はれて居りますので、東荒川ダムの建設に伴ふ道路整備も兼てゐるのでは無いでせうか。
其が大々的に附替に成つたのが 【矢板市長井-藤原町藤原 栃木縣道六三號線舊道 【其一】】 でありまして、東荒川ダムは昭和四七年着工でありますから合點が行くと云ふ物であります。

 不取敢、廢道部分が在る栃木縣道六三號線の紹介は是にて一段落と云ふ處でありますかね。

 良い廢道探索が出來ました。

 以上、御附合有難う御坐いました。

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