栃木縣道三四一號線ノ前身ニ當ル道 【其六】

2673年 3月 12日 探訪

 【其五】からの續きであります。

 【現在地】

 栃木縣道一一八號線を横斷致しました。

 地區的には太田(オホタ)に入つたのでありますが、ずうつと街道添ひに集落が續いてゐると云ふ感じであります。
 おつと之は懐しい、混凝土で出來た横斷旗入れであります。

 微に黄黒の縞模樣の痕が在るのが御分り戴けるだらうか。
 緩く右に折れると、間も無く栃木縣道一七六號線と合流であります。

 併し矢張集落内と外では幅員が違ふ物でありますね。
 はい。

 と云ふか、今は文盲が自動車免許保有者の大半を占ると云ふ日本國、此標識を正しく讀め、且つ其意味を正しく理解出來てゐる人は果して何人居るのでせうか。

 と云ふ噺は措いといて、明治四一年發行の地圖では此方の道の寶が主要道扱ひでありましたのに、 昭和廿二年發行の地圖では左から合流して來る縣道一七六號線の方が主要道扱ひと云ひますか、太く描かれる樣に變化して居ります。

 若しかして鐵道、と云ふか驛と各地域の接續が重要視されて來たと云ふ事なのでありますかね。
 其先、栃木縣道一七六號線と成つた處は擴幅されてゐる部分と、
元の儘の部分とが混在して居ります。
 其街中で見掛ました消防團の建物の塀、大谷石で斯樣な裝飾をされてゐるのつて初めて見ました。
一體何時頃のなのでせうか。

 唯、色々とアレな氣が致しますので餘りアレでありますが、戰前からの塀が其儘殘つてゐるのかも知れ無い。
とだけは云へるかも知れません。

 結構貴重な物かも知れません。
多分。
 田園地帶に入りますと、一氣に擴幅されて居ります。


 【最終囘】に續く。

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