栃木縣道三四一號線ノ前身ニ當ル道 【其四】

2673年 3月 12日 探訪

 【其三】からの續きであります。

 【現在地】

 石末地區に入り、下り始りますと舊線形の痕跡が現れ始める筈であります。

 先の左曲線の部分、右手が何か開けてゐる樣に見えるのがさうでありますかね。

 路面の速度表示、"40高中"の儘でありましたら萌でありましたのに、惜しいであります。
 すると如何にも古さうな石積が右手に現れました。
目地に何も詰つてゐ無い樣に見える邊り、手荒く古さうであります。

 因に、此曲線が緩く改修されたのが、航空冩眞で見る限り六十年代前半頃であります。
と云ふ事は、石積の前に立つてゐる反射鏡は多分其當時からの物なのでありますかね。
 緩和曲線等關係無い樣、眞直ぐ下つて行きます。

 成るべく斜面を切崩さ無い樣、出來るだけ自然の地の利を生かした儘に作られた道、と云ふ感じであります。

 然し、幾ら自動車社會に成つたからと云つて、何れだけ線形改良しても下手糞は必ず中央線食出して來るのでありますよね。

 さう云ふ意味では何遣つても無駄だと思ふのであります。

 併しカーブ注意の看板、氏家署の儘なのが良い味出してゐます。
 すつかり廢でありますね。

 一應一寸だけ分入つて見ましたが、路盤の跡らしき物は見當りませんでした。
尤も、當時は未舖裝でしたのでせうから分ら無くて當然と云へば當然でせうけれど。

 併し何故に反射鏡が拔かれてゐるのでせう。
 其先の私有地の裏手、山際に綺麗に殘つてゐる邊りが舊線形部分だと思はれます。

 出來れば歩き度いと思ふのでありますが、流石にもう拂下げられてゐるでせうから見るだけで我慢であります。
 して、現在の線形と合流であります。

 少し土地利用の關係で線形としては合流手前部分が開削されて居りますかね。
其と舊街道には御約束の石碑、でありますかね。

 因に、此時は石碑に何が刻まれてゐるのか見忘れました。
今思へば實に勿體無いであります。
 反對側は歩道部分が廣いかな、程度であります。
さう云ふ意味でも自然に添つた作りだつたのでせうね。
 はい。

 今では斯う云ふのつて餘り見掛無く成りましたよね。
"ようこそ○○へ"とか"氣を附けて"とか。
或る意味貴重な存在の街の仲間達かも知れません。

 併し眞中が拔けてゐるのが何故なのか氣に成りますが、多分警察の紋章とか高根澤町章だつたのでありますかね。


 【其五】に續く。

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