河内町下橋 栃木縣道一二五號線 通稱白澤街道舊道

2673年 7月 23日 探訪

 【現在地】

 阿久津大橋を渡り氏家町に拔ける現白澤街道。
其依りずつと以前からの街道である現縣道二三九號線(多分此方が本來の白澤街道なのでせうか)を下小倉から南下し、河内町の東下橋(ヒガシサゲハシ)交叉點迄遣つて來ました。

 冩眞にも見える西鬼怒川の 【西川橋】を渡らず、 赤信號に成つてゐる方に入る細い道が今囘の目的、通稱白澤街道の舊道であります。
彼方で觸た樣に、今囘其道形を辿つて見る事に致しました。

 因に、此の角地には家が建つてゐたのでありますが、震災の影響で、暫く後に取壞されて居りました。

 まあ、不取敢進むと致しませう。
 はい、如何にも舊來からの道と云ふ幅員であります。

 輕自動車同士ぢや無いと擦違ひにも難儀しさうな感じでありますが、其でこそ舊街道と云ふ處でせうか。
 因に、振返つて下小倉方面を見ると斯う云ふ感じであります。

 何度かに分て改修されて居りますが、本來此方に素直に續いてゐたと云ふのが、何と無く分る樣な感じであります。
 併しまあ、白澤街道バイパスつて西下橋交差點から先だけだと思つてゐたのでありますが、まさか或る意味此處からもさうだつたとは思ひも致しませんでした。

 火見櫓が懐しくも良い雰圍氣であります。

 併し左手の空地、不自然な具合に在るのでありますが、一體何なのでせう。
まさか舊路盤、とは云ひますまい。
 と云ふかさう云ふ雰圍氣濃厚なのでありますが、まあ見無かつた事にして措きませう。
多分舖裝工事とか現道との交叉點が出來たとか何かの兼合とか、色々と有るのでせうから。

 して、舊道に入つて直に豐島神社(馬頭尊)の入口が在る譯でありますが、流石、明治四十四年の石柱が御出迎へであります。

 頭が尖つてゐると云ふ事には何か意味が有ると思つてゐますが、所謂神樣を祭つていゐると云ふ意味が有るのでせうか。
 まあ不取敢先へ進みますが、其先、右手に白つぽく見えます處を曲り、西鬼怒川を渡河するのであります。
 但し殘念、現在では橋が在つたと云ふ痕跡は何處にも殘つて居りませんでした。

 尤も、當時は舖裝では無く砂利道だつた可能性も無きにしも非ずでせうから、河川改修と併せて舖裝されたのでありましたら、其は分ら無く成つてゐても當然でありますね。
 西鬼怒川の樣子は斯うでありますして、橋脚や橋臺は跡形も無く成つて居ります。

 まあ、此邊に關しましては、流石昭和四十年代後半以降の河川改修かなと云ふ感じであります。

 因に橋の位置でありますが、此方からでありますと、丁度桃色の花の邊りに向つてゐたと云ふ感じでせうか。
 対岸に遣つて來ましたが、依り一層痕跡は分りません。

 因に、丁度眞正面が先程迄居た場所であります。
 【現在地】

 扨、右岸側の状況でありますが、道は橋の手前で曲つて居り、眞直ぐ渡河してゐた樣であります。

 さう云ふ線形の名殘、今でも分りますね。

 して、舖裝が切れてゐる手前側の状況からしまして、多分砂利道だつたのかなと思ふ次第であります。

 と云ひますか、航空冩眞で確認致しますに、多分此處の橋が廢されたのは昭和卅六年頃の樣なのでありますが、其頃迄砂利道だつたのは理解出來ます。
で以て後年に成り手前迄は舖裝されたのでせうけれど、何か、適當なぶつ切り感が何と云ひますか、ええ。
 嗚呼成程、雰圍氣有りますね。

 近くに奧州街道が通つてゐたにも關はらず、之だけの幅員が確保されてゐたと云ふのは十分では無いでせうか。

 但しモウタリゼイシヨンには不十分だつたとは思ひますが。

 併し何か此處、時代も其儘に殘して呉れてゐる樣な感じがしまして素敵であります。
 程無くして現道を横斷する譯でありますが、直交する樣にアレでありますので、素直には横斷出來無い樣に成つて居ります。
 何と、意外な事に横斷した先は狹いであります。
精々小型や普通自動車一臺分と云ふ感じでせうか。

 因に左側の空地、曾ては農協の倉庫が建つてゐたのでありますが、近年に成り取壞されて仕舞ひました。

 確か大谷石造の立派な倉庫だつたのでありますが、若しかして震災絡みで傷みが出たのでせうか。

 彼の場所の思ひ出は、交通違反の取締り地點だつたと云ふ事でありますかね。
 と思ひきや、舖裝の兩側がアレでありますので、さう云ふ事なのでせうか。
 で以て交叉點直前で狹く成つてしまいます。

 因に此處を左折して進んで行きます。

 まあ、うん、之では自動車の往來には不向きでありますから、新規に道路が作られたのも納得であります。
 折た先は再び幅員が確保されて居りました。

 斯う云ふ緩く折た線形、良いでありますね。
 此處、西下橋交差點の線形も、此方側から見れば納得であります。

 此處から右手のバイパスが出來る迄の白澤街道は、左手から來て正面の道に向つて行つたのでありますが、左側の歩道の途切れ方と云ふか縁石の食み出し具合、 何か車を擦りさうな感じで違和感が有りました。
でも斯う見れば、眞直ぐ向ふのが本筋なのでありますから、別段邪魔には見え無いのも當然なのでありますなと、妙に納得した次第であります。

 と云ふ事で、向つて右手が廣がつてゐるのも、此方に向ふ元々の道筋の跡だつたと云ふ事でせうか。
 さうして、舊道に成つた白澤街道に戻る譯であります。

 因に、此處も中央線が在るとは云へ結構狹く、制限速度の毎時五十キロで走るのも精一杯と云ふ感じであります。

 と云ふ事で、モウタリゼイシヨンに對應する、且つ鬼怒川を渡河する奧州街道の役割も擔ふ樣に成る以前の白澤街道を訪ねて見た譯でありますが、 道に對する考へ方の違ひが明確に分る樣な感じでありました。

 矢張拙には地域の生活に根差してゐる樣な方が、のんびり走る事が出來て好きでありますので、 或る意味、バイパスが出來て呉れて有難うと云ふ感じであります。呵呵

 以上、御附合有難う御坐いました。

戻る