湯津上村佐良土-小川町小川 東野鐵道箒川橋梁跡

2678年 4月 2日 探訪

 此方は 【湯津上村佐良土 箒橋】 依り五百米強程箒川を上つた處、現在國道二九四號バイパスの橋が架つてゐる直隣、曾て通つてゐた東野鐵道の箒川橋梁跡であります。

 てつきり國道のバイパスは此方、東野鐵道跡に作られたと思つて居りましたので、現地に赴いて見たらまさかの状態に手荒く驚きました。
若かしますと、歴史的物件跡と云ふ事で保存の方向に成つてゐるのでせうか。

 して、まあ、有名物件でありますので拙的には輕く遣り度いと思ひます。

 と云ひますか、少し下の水門跡も何か氣に成るのでありますが、彼は一體何なのでせう。
 現在目視で確認出來る、唯一殘つてゐる橋脚跡。

 全部で四つ程在つた大型の橋脚、箒川の本流部分に成る處に架つてゐた部分でありますから、多分トラス桁が載つてゐたと思ふのでありますが、 其内の一つが現存して居りました。

 して、多分之は右岸側から三つ目の物だと思ひます。

 併しまあ、昭和五五年前後頃迄は全ての橋脚が殘つてゐた樣でありますが、圃場整備や河川改修で悉く消失して仕舞中、之一つでも殘つてゐたゞけ有難い事だと思ひます。
 右岸側橋臺。

 戰前物件、年表を頼りにすれば大正物件であります。

 近附事が可能でありますれば、型枠の跡等をじつくりと見てみたいであります。
 堤防の上で振返れば、二百米程北側に左岸側の橋臺が御坐いました。

 此方の規模で考へますれば、此方側は鈑橋だつたと思はれます。
唯、此方側の橋脚は全て消失して仕舞つてゐるのは殘念でありますが、まあ仕方が無い事だと思ひます。

 併し、大正十三年に開通し、僅か十五年で廢止されると云ふ、實に勿體無い路線だつたのだなと云ふ感じであります。

 併し其後、昭和十四年の廢止以降昭和五五年頃迄桁以外は全て殘つてゐたと云ふのも凄い事であります。

 まあ、良い物が見られました。
機會が在れば、今度はも少しゆつくり見てみたい物件であります。

 以上、御附合有難う御坐いました。

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