宇都宮市今泉町 錦橋

2674年 9月 9日 探訪

 此方は 【石川橋】 依り九十米程東側に在る、所謂跨線橋であります。

 此處が出來、新世代の宇都宮市道路が色々と完成する時代の樣な、何かさう云ふ一つの象徴の樣な氣が致します。
意匠的にも一寸、跨線橋としましては凝つてゐる樣な氣も致しますしね。

 では此方、西側の方から見て行きます。
 にしきばし。

 何か戰前物件と云つても通用しさうな意匠の親柱であります。
 昭和三十二年竣功。

 と云ふ事は、競輪場通りの開通は昭和卅二年で良いと云ふ事でせうかね。

 して、斯う云ふ升目模樣の混凝土の歩道、之は矢張同年代物件と見て良いと云ふ事でせうか。
以前は彼方此方に在りましたが、今では隨分と少く成つて來ましたよね。
 併し跨線橋の手前、側道部分が歩道も兼てゐるのでせうが、其處からの階段が、丸で驛の階段の樣で素敵なのであります。

 流石國鐡關連物件と云つた處でせうか。
 ほらね、滑り止が如何にも驛と云ふ感じでは御坐いませんか。
何か舊き良き時代の國鐡を感じさせる物件の樣な氣が致します。

 と云ひますか、此年代の道路關連の階段つて皆斯う云ふ具合なのでせうか。
拙は餘り他所で斯う云ふ階段見た事無いのでありますが。
 高欄は隙間無く作られて居ります。

 轉落防止には萬全でありますね。
豫想外の行動に出る人が居無ければ、でせうが。
 にしきばし。

 何かですね、何故か此處の親柱はちやんと撮つた寫眞が無かつたのであります。

 と云ふか此錦橋、所謂焦點合つてゐるのにボケた寫眞が複數枚と云ふアレな所だつたと云ひますか、正直、此處つて拙は自動車でも餘り通り度く無いと云ひますか、 何と無く無意識に避けてゐる處と云ひますかねえ、多分前後の勾配部分でアレなのかと思ふのでありますが、まあ、御察し下さいと云ふ處なのでせうか。
 と云ふ事で、此方側の銘板も昭和三十二年竣功であります。

 して、丁度汽車、とは今は云はず電車でありますね、が來ましたので、何と無く鐡道寫眞の樣な物を撮つて見ました。

 嗚呼、因に錦橋と云ふ漢字表記でありますが、日刊建設新聞栃木版で知りました。

 桁を撮つた冩眞が御坐いませんが、まあ、一寸難しい場所かなあと云ふ事で、アレであります。

 以上、御附合有難う御坐いました。

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