氏家町蒲須坂-宇都宮市川俣町 日本鐡道(國鐡東北本線)ノ遺構等 【最終囘】

2672年 1月 17日 2674年 6月 10日 2676年 2月 16日 探訪

 【其六】からの續きであります。

 【現在地】

 扨、古田驛跡を出て來ました。

 宇都宮側は梨畑に成つて居り、軌道だつた形跡は最早御坐いません。
でありますが、地元の方に色々と御話を御伺ひ致しますと、耕す時や何かと作業をする時は、流石軌道跡らしく砂利が多くて大變だとの事であります。
而も丁度路線跡だつた處からだけ手荒く出て來るらしいので、農作業に困難なのは重々御承知致しますが、一體如何云ふ姿の砂利が出て來るのか興味深々であります。

 併し、昭和四十年代半ば迄の此邊の航空冩眞を見て居りますと、線路跡はすつかり消失して居りますのに、地面には一直線に伸びる確かな線が見えるのでありますから、 一度何かに利用された跡と云ふのは、長年に亙り其痕跡を殘すのだなあと感心した次第であります。
 【現在地】

 扨、御次は御用川の支流に架る、架つてゐた橋臺跡であります。

 住宅街の中に在り、其々に私有地を通して貰ふしか一般的には見る方法は無いのでありますが、古田驛跡で地元の方と御話してゐて感じましたのは、 年間を通して日本鐵道跡を探訪する人は結構な人數に成ると云ふ事でありましたので、きつと此方も毎度毎度さう云ふ人が訪ねて來て、復かと呆れ、 面倒且つ疎まれてゐるのでは無いかと思ひまして、新興住宅地と云ふ事も鑑み、近くから川牀に降り、川の中を歩いて見に行きました。

 ええ、拙は斯う云ふ事を遣る時は常に長靴でしか出掛無いので、さう云ふ事も平氣なのであります。
但し變に市街地住民氣取つてゐる新興住宅街の住民には大抵怪訝な目で見られて居りますがね。

 ま、如何でも良い事でありますがね。
 扨、此方でありますが、鐵道を通す爲に河川が桝形に改修されて居ります。
多分煉瓦積で斜橋にするには色々と大變だつたからなのでせうが、其を私鐵で遣つて仕舞邊に、明治時代とは如何云ふ時代だつたのかと云ふ本質が見えて來さうな感じがし無いでも無いであります。

 して、是又初て見る姿の橋臺でありますが、一體如何云ふ橋が架けられてゐたのでせう。

 まあ、小振な河川、橋梁だつたのでせうから、矢張何かしらの木橋だつたのでせうね。
 併しまあ、之だけの大木が斯樣な生え方をしてゐても然程崩れずに其姿を保つてゐると云ふのには感心致します。
 【現在地】

 扨、御次は愈々宇都宮驛迄殘り五、六キロ程と云ふ處、河内町大塚と宇都宮市川俣町に跨つて在ります高龗(タカオ)神社古墳であります。
此處のど眞中を、鐡道の線路を眞直通し度いが爲に開削したと云ふ、何共豪快な明治人の發想に開いた口が塞ら無い遺構であります。

 と云ひますか、今は合併してゐるから良いとしましても、丁度眞中で別々の市町村に成るとか、當時の行政の線引つて如何なのでせう。
其に、古墳一つ避けて線路を敷設すると云ふ發想をし無かつたと云ふのも何なのでせう。
假にも誰かの御墓でありますのに。

 まあ彼のど眞中の凹んだ部分を汽車が走つてゐたとか、行政が丁度分れる場所であるとか、もう無茶苦茶過ぎなのも或る意味納得であります。
 此場所で振返つて見ますと、右手の道が進んだ先、電柱が竝んでゐる邊が多分、道路に轉用された處では無いのか共思ふのでありますが、確證は無いであります。
 【現在地】

 扨、では古墳を見て行きませう。

 何と云ひますか、色々と思ふ處有つてアレでありますが、不取敢要は彼の石段の前を鐡道が横切つてゐたと云ふ事でありますね。

 併しまあ、眞正面の祠、何と云ひますか、色々と雰圍氣有りますね。
 矢板方面を見て居ります。

 今では立派な木が生えてゐ度り燈篭が置かれてゐ度り致しますが、此處が線路の跡地だつたとかは全く想像出來ません。

 まあ、其はさうでありますよね、基本的に墓でありますから。
 宇都宮方面であります。

 まあ、ええ、はい。

 まあ、一つ氣に成ると云へば、此處の前後は築堤だつのでせうかね。

 まあ、工事中や後に厄災等無かつたのがが氣に成りますが、上手く開通出來てゐたので大丈夫だつたのでせうね。
と云ひますか、鬼怒川關連でのアレつて之が遠縁だつた、と云ふ事は無い、でありますよね。呵呵
 さう、史跡なのであります。
指定が手荒く遲かつたと思ひますが。

 と云ひますか、さらりと突込處滿載な樣な氣がし無いでも無いでありますが、鐡道が通つてゐたと云ふのは黒歴史と云ふ事なのでせうか。

 まあ、斯うして七囘に亙つて日本鐵道跡を見て來ましたが、之だけの物を私鐵で遣つたと云ふ立派な史跡と思ふ半面、 工事期間も含め、餘にも亂暴と云ひますか粗暴と云ひますか、上にも記しましたが、當時の政府の本質を表してゐる樣でも有り、 一寸拙には素直に見るだけは出來無い探索と成つて仕舞ました。

 まあ、其等を探してゐる時は手荒く樂しかつたから良かつたのでありますがね。

 以上、御附合有難う御坐いました。

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