氏家町蒲須坂-宇都宮市川俣町 日本鐡道(國鐡東北本線)ノ遺構等 【其六】

2672年 1月 17日 2675年 12月 8日 探訪

 【其五】からの續きであります。

 【現在地】

 眞正面、鐵塔と鐵塔の間に見える森が古田驛の跡地であります。

 斯うして見ますと、本當にほぼ一直線に通つてゐたのでありますね。
 【現在地】

 して、此方が御用川の橋梁跡であります。
此方も比較的良好な状態、と云ひますか、一つ前の蘆沼の橋臺と遜色無い状態で殘つてゐると思はれますが如何でせう。

 と云ふ事で、不取敢此方が矢板側の橋臺であります。
 此方は頬杖橋では無かつたのでせうか、彼の獨特の凹みが煉瓦に見受られません。

 と云ひますか、全體的に地面に對しても橋臺自體が低い樣に見えますので、此方は鐵桁橋でも架つてゐたのでせうか。
 次いで宇都宮側の橋臺であります。

 鐵道に對して直交する樣に河川改修はされてゐるのでせうが、何と無く造りに無理が見られさうな感じであります。
 川牀に降りられて觀察出來れば尚良いのでせうが、まあ、基礎の部分の石積も状態が良ささうでありますので、其だけ分れば十分でありますかね。
 して、宇都宮側の橋臺の位置から古田驛跡を見て居ります。

 御覽の樣に線路の痕跡は皆無なのでありますが、手前に見える草木の塊の邊を通つて行つてゐたのでは無いでせうか。

 因に、如何でも良い事かも知れませんが、此界隈、何故か細く境界標が亂立して居ります。
其つて鐵道用地に絡んでアレだつたのかなあと思は無くも無いと云ふ感じでありました。
 【現在地】

 まさか此斜の部分の畦道が鐵道用地跡だつた、と云ふ事は無いとは思ひますが、此邊を通つてゐたのだらうと思はれます。
 【現在地】

 扨、古田驛跡であります。

 何か曲つてゐる樣に思つたのでありますが、プラツトホオムで行交ひを考慮しての爲だつたのでせうか。

 と云ひますか、多分現在の小徑的に、當時の路線跡を正確に通つてゐる譯では無いと云ふ事なのでせう。
 もう何の位置に驛舎が在つたのかとか、何處から何處迄がプラツトホオムだつたのか等、全て不明に成つて居ります。

 因に、所々砂利が出てゐ度りするのでありますが、碎石と云ふ依りは川砂利と云ふ感じでありますので、此はバラストとは違ふよなあと思ひ、冩眞は撮りませんでした。

 唯、若かしますと當時は斯樣な砂利を敷いてゐたのでは無いかなと云ふ感じがし無いでも無いでありますが。
 併し此木々の間、とても汽車が通り拔られる程の幅が有るとは思へませんので、後年に成つてから植林されてゐるのでは無いでせうか。

 其と、地圖で確認致しますと分るのでありますが、途中で宇都宮方面に向つて右手方面から、此方驛の方への取附道路が御坐います。
地圖上で見ますと、丁度軌道跡邊で行止りに成つて居りますので、多分其邊が驛舎の在つた位置なのでせうか。

 【最終囘】に續く。

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