2679年 2月 4日 探訪
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此方は
【小川町三輪 三輪橋】
依り權津川を二百米程上つた處に架る橋であります。 以前に三輪橋を探訪した時には今時の橋だらうと思ひ見落してゐたのでありますが、最近再び航空冩眞を見ました處、三輪橋が一徑間で渡つてゐるのに此方には橋脚が在る事が分り、 是は結構な年代の橋に違ひ無いと思ひ、再訪した次第であります。 と云ふ事で、ぱつと見には今時のガアドレイル高欄の橋でありますが、後附感滿載の状態であります。 と云ふ事で此方、左岸三輪側から見て行き度いと思ひます。 |
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何處にも銘板、橋歴板は御坐いませんので色々と不明な儘でありますが、此後附感滿載のガアドレイルだけで素敵であります。 橋は輕く弧を描いて居りますのに、ガアドレイルは御構無しに直線なのが"らしい"感じで良いであります。 橋自體が狹いので、結構車體を擦つてゐる跡が御坐いますね。 |
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地覆に收まり不切、無理矢理附た感じが良いであります。 其で以て、此足を覆ふ混凝土が自動車の通行に邪魔なのでは無いかと思つて仕舞ますが、不取敢輕トラでは問題無しでありました。呵呵 |
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何か自動車で打當つたら最も簡單に地覆毎壞れて仕舞さうな感じでありますが、不取敢人の轉落防止には良いのかと思ひます。 因に、昭和五十年の航空冩眞では、既に取附られてゐる樣な感じに見えました。 |
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横から見ました處、パイル形式の橋脚を持つ、三徑間の牀版橋でありました。 して、多分橋臺も橋脚同樣の形式の物だらうと拙は推察致しました。 |
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扨、右岸恩田側から見ました處、橋脚の直下の部分に混凝土の塊が御坐いました。 之は多分、舊橋の橋脚の土臺だつた物なのでは無いでせうか。 扨、竣功年でありますが、航空冩眞から判斷致しますと、昭和廿七年以降卅八年迄の間、と云ふ感じであります。 して、橋脚の上部の構造等から、多分昭和卅年代前半迄の物件と見て間違無いのでは無いでせうか、と云ふ感じであります。 まあ、出來れば此儘末永く維持管理されてゐて欲しいなと思へる物件でありました。 以上、御附合有難う御坐いました。 |