2678年 7月 10日 探訪
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此方は
【宇都宮市簗瀬町 名稱不明橋】
依り二百米程川田用水を下つた處に架る橋であります。 丁度宇都宮中央卸賣市場の裏手、上三川街道との交叉點の處の橋でありまして、市場の開設とほぼ同時期に出來た物件かと思はれます。 ぱつと見、如何にも昭和卅年代から四十年代頃の物件に見えますが、其實如何でせうか。 と云ふ事で、此方左岸側から見て行き度いと思ひます。 |
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かわだようすい。 質實剛健な親柱に、一寸上下方向に寸詰りな銘板が特徴でありますかね。 文字が窮屈さうに見えるのが味はいかと。 |
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ぞうむはし。 一寸手振して居り讀辛いでありますが、何か、表題と違ふと云ふのは如何云ふ事なのでせう。 も一度見に行く機會が御坐いましたら、ちやんと確認して措きます。 多分、「雜務」を「ゾウム」と讀んだのでありますかね。 と成りますと、市場の雜務が主體の通用道路橋と云ふ意味なのでせうか。 |
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高欄は混凝土板を三枚使用しました、
【宇都宮市簗瀬町 川田橋】
にも通ずる意匠であります。 では右岸側へ移動致します。 |
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大塚橋。 上三川街道側は、確に大塚橋と成つてゐるのであります。 して名稱の由來でありますが、地圖に解を求めましたが地區名では無い樣でありますので、不明であります。 |
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川田用水。 道路に對して親柱で直角状態に成つてゐれば、大抵自動車が打當つて壞れて來ますわな。 |
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横から見ました處、此方は牀板橋でありますね。 して、竣功年でありますが、昭和四三年の時點では未だ航空冩眞では確認不出來、昭和四九年では確認出來ますので、其間の竣功でありますね。 唯、さう致しますと意匠が若干古風でありますので、案外早い時期、市場の建設工事にも使ふ樣、昭和四五年迄には架設されたのでは無いかと思ひ、今囘取上た次第なのであります。 さう考へれば銘板のアレも納得行く、か如何かは措いとゐて、まあ面白い物が見られたかなと云ふ感じでありました。 以上、御附合有難う御坐いました。 |