宇都宮市簗瀬一 水畄橋

2674年 1月 14日 探訪

 簗瀬橋から十米程東側、川田用水に架る橋であります。

 上三川街道は人が居る邊を右折、舊道は其先、若干左に折てゐる邊を右折であります。

 まあ、上三川街道の舊、舊々道の探索は後程豫定はして居りますが、結果次第では御藏入であります。

 其は扨措き、簗瀬橋と同じ意匠の高欄である事から、同時に架替られた橋だと推察致します。

 では此方、右岸側から見て行きます。
 ぱつと見、ガアドレイル物依り手間掛つてゐさうに見えるのでありますが、きつと其は斯う云ふ高欄を餘り見掛無いからでせうか。

 ガアドレイルを使用してゐ無いのは何故なのだらうとふと思つたのでありますが、若かしますとガアドレイルの高欄への利用つて意外と後年に成つてから、 共思へ無いのでありますが、景觀とか豫算の關係なのでせうか。
 みずどわばし。

 多分さう讀むので間違ひ無いと思ふのでありますが、「わ」の書體がさう讀んで良いのか一寸躊躇する感じであります。
 桁は混凝土桁で良いのでせうね。
して、多分單純桁橋では無いかと推察致します。

 では、左岸側へ移動致します。
 水畄橋。

 さう、今囘一番惱んだのが此漢字「畄」であります。

 銘板を見ると上の點が二つに見えるのでありますが、さう云ふ漢字は無い、と。
下の部首「田」で其らしい漢字を探すと「畄」なのでありますが、うん、「橋」も變體文字でありますし、きつと行書體で書れてゐると推察致しまして「畄」の字を遣ひましたが、 然し之では「どは」と讀むのに當るには些か、如何なのでせう、實際。

 まあ、何れにしましても、常用漢字以外は難解でありますので勘辯して呉れ。
と、舊字體を遣ふ奴が云つても説得力が皆無かも知れませんが。

 と云ひますか、「畄」は「留」の俗字でありますか。
でありましたら素直に「留」と書けば良い物を。
と、其も時代の流行なのでせうか。

 と云ふか首長以下省略。
 ガアドレイルとの間の塞ぎ方、其で良いのかと云ふ感じが致しますがまあ、其も良い味はいであります。
溶接されて居りますしね。

 路盤、斯う云ふ具合では元々混凝土だつたと思ふのでありますが、今ではアスハルトが盛られて居ります。

 併し漢字が難解で難儀致しました。
常用漢字以外で惱まされましたのは、矢板市の 【矢板市上伊佐野 晴昿橋】 に續いて二件目でありました。

 以上、御附合有難う御坐いました。

戻る