2675年 11月 11日 探訪
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此方は氏家町の市街地の中、二手に分れた五行川の西側の流れ部分に架る橋であります。 以前に紹介致しました此方、 【氏家町櫻野 廢止無名橋二本】 が東側の流れでありまして、此方とは距離にして百米強離れてゐると云つた處でせうか。 尤も、此方の場合喜連川人車軌道跡と紹介した方が分り易いのかも知れませんが、さう考へますと結構歴史的な通りの橋と云ふ事に成りますね。 但し御覽の通り近年に成つてガアドレイル高欄の部分が通行を考慮して擴幅されて居りますが、橋自體は其也の年代物件かと思はれます。 其では此方、左岸側から見て行きます。 |
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親柱は確か元から無く、銘板も記名も無い儘であります。 まあ、でありますから名稱不明なのでありますがね。 して、結構な斜橋具合でありますね。 |
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高欄は混凝土管を使用しました意匠であります。 でありますので、多分に昭和卅年代に架橋されたのでは無いかと推察致します。 では、右岸側へ移動致します。 |
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まあ當然の如く右岸側も同樣であります。 親柱は元々無かつたと云ふのが橋臺近くの部分を見て御分り戴けるだらうか。 |
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横から見ますと、途中から桁が附足されてゐるのが分り易いと思ひます。 して、基本的には混凝土の牀版橋と云ふ形式なのでは無いかと推察致します。 何か此邊の五行川も水害對策で擴幅計畫が持上つてゐる樣でありますから、何時迄此儘殘つてゐるか分りませんが、不取敢今囘、 斯う云ふ姿の時も在つたのだと云ふ記録には成つたかなと云ふ感じであります。 以上、御附合有難う御坐いました。 |