氏家町櫻野 廢止無名橋二本

2673年 7月 10日 探訪

 偶には普段と違ふ道を散策するのも良い物であります。
然すれば、斯う云ふ具合に面白い物件を發見出來る事が御坐いますから。

 と云ふ事で、昔を思ひ出して曾て通つた事の有る五行川界隈の小路を通らうと思ひました處、すつかり變つて居りまして、其先に此方が見えて來ました。
通路にしては不自然だなと思つたのでありますが、此處が元々の流れの部分だと思ひ出すのに時間は掛りせんでした。

 さう、河川改修に因り埋立られつつも、道路として殘されたと云ふ橋、としましては廢止された物件と云ふ事でせうね。

 では此方、左岸側から見て行きます。
 近附て見ますともう一本、此方は人道橋程度の幅員の橋も殘されて居りました。

 多分ぱつと見に、此方の方が手前の廣い橋依りも古い物件だと思はれます。

 微妙ではありますが、此方の方が一段低い位置に架橋されて居りますから。
 まあ、折角の是だけの物件でありますから、壞す事無く其儘利用した方が得策でありますね。
 上流側を見ますと、元の河川部分の一部も小路に成つて居りました。

 護岸部分、一部は見えてゐるのでありますが、全て殘されてゐる譯では無いのでせうか。
 曾てを偲ばせる護岸の一部であります。

 此方多分、幅員の廣い方が架橋された時に施工された部分だらうと思はれます。

 如何やら、埋立と同時に水道も埋設されてゐる樣であります。
 下流側を見ますと、本當に家の直裏手を流れてゐたのが分ります。

 と云ひますか、迫出してゐるのも昔乍と云ふ處でせうか。

 併し之では増水時は怖かつた事と思ひます。
 此方にも石積の護岸部分が殘されて居りました。

 奧の屋敷部分の護岸とは違ふと云ふのが良く分りますし、此方の橋に向つて嵩上されてゐるのが分ります。
 現在の流れの部分が、出來るだけ眞直に成る樣改修されたのが良く分ります。

 扨、では何時頃河川改修が行はれたのか、其と二本其々の架橋は何時頃だつたのかと思ひ航空冩眞を確認致しました處、 先づ人道橋的な方でありますが、昭和廿二年の冩眞でも其らしき感じに冩つて居りますので、多分戰前からの物件で良いのだらうと思ひます。

 序で幅廣の方でありますが、此方は昭和四十年代前半でほぼ間違ひ無いと思はれます。

 して、河川改修で斯樣な姿に成つたのが、廿一世紀初頭の樣であります。

 此處で一つ不思議なのでありますが、改修後も混凝土塊團護岸では無く石積の護岸にしましたのは、其前後との景觀的な繋りを重視しての事なのか何なのか、 如何云ふ理由なのかが不明な點であります。

 まあ、さう云ふ細かい事に拔にして、河川だつた頃の生證人として殘つてゐるのが面白い物件でありました。

 以上、御附合有難う御坐いました。

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